第62回変身力研究会報告/「秋田の田舎だから出来るビジネス」~その見つけ方・育て方・拡げ方~

 9月4日に武田昌大氏(シェアビレッジ社長)を講師にお迎えして、協働大町ビルで「秋田の田舎だから出来るビジネス」~その見つけ方・育て方・拡げ方~をテーマに第62回変身力研究会を開催しました。以下は講演要旨です。

  1. はじめに

 荒谷会長からもお話しがありましたが、私もかなり変人だと思っております。変身力という言葉は人が引き寄せられるパワーを持っていると感じておりますので、私の好きな言葉です。

 変身とは他の姿に変わることだと思いますが、私も変身しました。8年前、東京のゲームソフト会社に勤務していた23歳頃は体重が64㌔でしたが、現在は33歳の秋田に住む体重84㌔の社会起業家に変身しております。

 見た目だけではなく、人生の節目、節目で変身を重ねておりますので、先ずは自己紹介を兼ねて変身の軌跡をお話しします。

 私は昭和60年に旧鷹巣町で生まれ、地元の小、中学校に通う新しい物,面白い物特にゲームの好きな子供で、将来はゲーム会社で働きたいと思っておりました。

 当時の鷹巣町はゲームセンター、ボーリング場、カラオケ、映画館も無い田舎でしたので、将来は刺激的で楽しい都会で暮らしたいとの想いを抱いておりました。

 大館鳳鳴高校の卒業時に新設された立命館大学情報理工学部に進学、情報分野の最先端技術を身に着けて卒業し、子供の頃からの夢であった東京所在の大手ゲームソフト会社スクウェア・エニックスに就職しました。

  1. 秋田のために出来ること

 秋田・田舎嫌いの私が秋田を好きになっていくのは、会社に入って2年目の24歳の頃からです。正月やお盆に帰省すると鷹巣の商店街はシャッター通りに変貌していました。

東京は人で溢れているのに、鷹巣の街中は車も人も通らない寂しい街に変貌してしまいました。人口減少とか高齢化は耳にしていましたが、故郷の現状を見てその実態を理解し、自分が生まれ育った故郷が無くなってしまうとの想いから変身することにしました。

自分が秋田のために何が出来るかを考えた時に、秋田が嫌いだったために秋田の良さを何も知らなかったので、先ずは秋田を知ることから始めました。

ネットで東京・秋田・イベントと検索したところ「秋田を盛り上げるためのイベント」を新宿で開催しますとの記事を見たので、出席することにしました。

会場は新宿歌舞伎町の前はキャバレーだったと思われる風林会館でしたが、入ってビックリしました。秋田のために何かをしたいと考えている主に秋田県出身の若者達が300人も居たからです。

主催者は今も活動している秋田出身の東京在住の若者達の任意団体「WE LOVE AKITA」でした。私は自分よりも若い人達がやっていることに悔しさを感じましたが、秋田を知る手掛りを得るために入会することにしました。

会の当時のメインのイベントは、青山の国連大学前に土日に開設されていた「ファーマーズマルシェ」に出店し、秋田の産物を販売することでしたので、私もボランティアでお手伝いすることにしました。

マルシェを手伝って感じたことは、秋田から取り寄せた野菜を生産者で無いのでストーリーも話せず、通行人に無言のまま販売しているので、リピートの可能性も感じられないこと、運賃等の経費が掛かることから儲からないということでした。このためこのままこの事業を続けていいのか、自分ならどうするかを考え始めました。

  1. 米の直販会社を設立する

他県での講演で秋田の名物を知ってますかと質問すると、なかなか出てきませんが、最近は金農と直ぐ出てきます。本当に金農のPR効果は絶大です。

秋田の名物と言えば日本三大美人、秋田犬、稲庭うどん、ハタハタ、きりたんぽ等色々ありますが、私としてはお米です。食料自給率が全国1位に貢献しているのはお米の生産量が全国3位と多いからです。銘柄米あきたこまちも私が生まれた頃から頑張っています。ということで秋田と言えば何といってもお米だと私は思っております。

 しかし、農家は超高齢化が進んでおりその60~70%が65歳以上で、メインが80歳以上です。このため今後5~10年でほとんどの農家が廃業に追い込まれるために、その農地を60代以下の農家や新規就農者が受け継がざるを得ない状況になると予想しております。

 さらに米価の下落が追い打ちを掛けています。最近は上昇傾向にありますが2010年は60㌔9千円代と前年比30%近く下落する等農家経営を圧迫しました。

 しかしこういう状況にあっても、基幹産業である農業特に米作農家を元気にしなければ、秋田は元気にならないと考えましたが、私自身は農家の出身でないので、農業について全く知りませんでした。

 このため農業を学ぶために月~金は東京で働いて、土日は車で秋田に帰る生活を3か月行い、延べ100人の農家から教えて頂きました。

 そこで解ったことは、農家がそれぞれの流儀で作ったあきたこまちが、農協に出荷されるとブレンドされ消費地に配送されるために、個々の農家の努力が評価されない仕組みになっていることです。

 収量については個々の農家に還元されるものの、食味等については評価の対象外ということで、農家の意欲を損なうようなシステムになっていることが解りました。

 秋田の農業は高齢化、低賃金、流通、嫁不足、後継者不足等多くの課題を抱えておりますが、この課題を解決するために農業の遣り甲斐とは何ですかと100人の農家に聞きました。

 答えは一つでした。一人でも二人でも直接購入してくれた方が、あなたのお米が旨かったので、来年も頼むと言われることが、遣り甲斐だと言ってました。

 現状の米の流通は、消費者から直接評価を聴けるシステムになっていないので、農家の遣り甲斐を創るためにも直接流通のシステム、お客さんから直接声を聴けるシステムを作りたいと考えました。

そこで3代目の若手農家に声を掛け、トラクターに乗る男前達を意味する「若手米農家集団トラ男」を立ち上げました。なぜ男前にしたかというと農業には暗いイメージがあるので、明るいイメージにチェンジしたかったからです。

こだわりとしては、田んぼに力と書いて男と読みますが、農家こそが真の男だと主張するためにトラ男にしました。メンバーは若手農家3人組で燃える愛采家TAKUMIとかそれぞれにキャッチコピーを付けて、2010年に私が未だゲーム会社に在籍しながら、自前のウェブサイトを立ち上げて、生産者の名前を付けたブレンドしない純米として販売する通販事業を10月から開始にしました。

開始直後は地元の農家や農協から「お前達何をやっているんだ」と嫌味を言われましたが、2011年4月にNHKクローズアップ現代に取り上げられると手のひらを返したように「お前達はやると思っていたよ」と言われました。

 ネットで販売する他にイベントにも出店したことから、販売目標も4ヵ月で達成しましたが、販売量も少ないのでこれで農業を変える、流通を変えることは

出来ないと考えて会社を立ち上げました。

 会社を立ち上げるには資金が必要ですので、クラウドファンディングで調達することとし、日本で最初にサイトを立ち上げたレディフォーで募集しましたがうまく行きませんでした。その当時の日本では未だネットで資金を集めることが、広く理解されていなかったからです。

 その後同じクラウドファンディングの運営会社であるキャンプファイヤーで百万円調達しましたが足りないので、内閣府が募集していた社会起業家支援金に応募し、240チームのなかで1位となり300万円を獲得して同年8月に㈱KEDAMAを設立しました。

  1. 米の売り方を変える

 会社の業務は大きく分けると流通とファン造りです。ネット販売、卸、定期販売、海外展開とソーシャルネットワーク、メディ戦略、クラウドファンディング、イベントの8つのことをやりながら販売とお客様造りを行いました。

 SNSだけではなくお客様と直接触れ合うことも大切だということで、東京で毎月きりたんぽを食べる会等のイベントを開催しておりますが、毎回出席者が増えており、出席者がネットで購入してくれる等ファンが増えております。

 イベントは東京だけではなく地元秋田でも稲を刈り、釜戸でご飯を炊く等の体験ツアーも開催しております。

 流通も自前だけでは無く、無印良品、イオン、高島屋に卸しており、東京ガスと連携して料理教室を開催しています。

 SNS等での露出が増えたことでメディアにも注目して頂き、NHKでは壇蜜さんとも共演させて頂きました。

 おいしいお米を高く買って頂くという時代ですので、売り上げも順調に伸びていましたが、東京のお客様と話しているとお米の炊き方を知らないので、折角の美味しいお米が、炊くと不味いご飯になっていることに気付きました。

 そこでお美味しいご飯を提供するために2017年10月に東京日本橋にお結び屋ANDON(あんどん)を開店しました。

 同店は4階建ての住家を3階まで借りており、1階はお結び屋兼スタンドバー、2階は本屋、3階はイベントスペースとし秋田の農業や精米の仕方、炊き方を学んだ後にお結び造り等のワークショップを開催しています。

1階のお昼は付近の勤め人を対象とした昼食のテイクアウトショップとなっており、注文を受けてから握るお結び2個と秋田産の味噌を使用したお味噌汁を販売しています。夜は秋田の銘酒と産物を肴とするバーになります。

 お米とか農業について知ってもらうような新しいかたちのアンテナショップ

という感じで営業していますが、折角来てもらったらのですから秋田のファンになってもらうために、田植えとか稲刈り等も案内しております。

 お米を売って、食べてもらって、秋田に来てもらうサイクルを作って行きたいと考えております。

  1. シェアビレッジを開設

 地域活性化に必要なお金は物を売って外貨を稼ぐことと、来てもらってお金を落としもらうことが考えられます。もちろん資金の地域内循環も大事ですが人口が減少して行く訳ですので、この二つが先ず必要だと考えました。

 秋田を元気にする三段階を考えました。先ず知ってもらう、来てもらう、住んでもらうことですが、今までやってきたことは2段階目までですので3段階目の住んでもらうことを考えるには、都市と田舎の新しい関係を構築する必要があるのではないかと考えました。

 そんなことを考えていた時に出会ったのが五城目町所在の築135年の茅葺の古民家です。土間、釜戸、いろりがある間取りで8LDKぐらいの空き家が綺麗な形で残っていました。人が集まる場所が欲しいと思って見に行ったのですが、自分が住みたいと思うほど気に入りました。

 オーナーに会ったら茅葺屋根を葺き替えるだけで1千万円も掛かるので、3か月後に取り壊す予定であるとのことでした。最寄りのスーパーまで5K、観光地でもないところに立地している莫大な維持費を要する古民家を取得するのは大きなリスクですが、私はこの古民家を活用する仕組みを考えました。

 維持費を住む人が払い続けることは難しいので、維持費を会員でシェアする会員制の古民家民宿を考えたのですが、観光地でないので無理と判断しました。

 次にこの古民家に老若男女様々な人達が集う姿を妄想したので、ここは単に泊まるだけの場所では無く、なんか村ぽいと感じがしたので、年会費を都会人には意外感のある年貢として集めたらどうかと考えました。

 年貢が増えていけば日本の原風景である日本各地の茅葺の古民家を取得して

残せるのではないかと考えました。そして会員を村民と呼び年貢で古民家を維持するので、この仕組みをシャアビレッジと呼ぶことにして、私が村長即ち社長に就任しました。

 シャアビレッジの仕組みは、年貢を3千円納めてもらえば誰でも村民になれ、1泊3~4千円で利用でき、施設利用を里帰りと呼んでいます。さらに泊まるだけではなく、助太刀という制度もあります。村で不足している人手を村民のコミュニティで補う制度です。例えば屋根の葺き替えに必要な萱を刈り取って、葺き替えまで自分達でやります。昔は茅葺の葺き替えは村民が助け合ってやっていたことから発想しました。

 また寄合と称して飲み会もやっております。秋田の村民と東京の村民がウェブを通じて乾杯することで仲良くなり、秋田に行ってみたいなと考えるきっかけになればと考えてやっております。

 年一度夏祭りを一揆と称して土間で音楽ライブをやっており、毎年300人近くの人が集まりますので、関心のある方はぜひご参加下さい。

 五城目のビレッジは2014年に開設しましたが、その資金をクラウドファンディングで集めましたが、862名の方から6百万円余を出資して頂きました。現在の村民数は2,150名で47都道府県全てに村民がおります。

2016年には香川県三豊市仁尾町に第二ビレッジを開設しました。三方が山で一方が海という秋田県のような所で、高松市から1時間の愛媛県寄りの人口6千人の夕陽が綺麗な港町です。

 そこに松賀屋という屋号の敷地840坪、建坪360坪の40年間空家だったという大きなお屋敷をシャアビレッジに変えました。地元のお祭りで担ぎ手がいなくて困っていたので、東京から村民が駆け付け竜を担いだり、30年間途絶えていた盆踊りを復活させたり、ミカンやレモンの収穫体験のために人が集まる仕組みにしました。

 なお、2017年に開設したANDONを村役場にしたので、シェアビレッジは3拠点になりましたが、今後は12ヵ拠点まで増やして村民も100万人を目指しています。このため第3村、第4村を開設すべく全国を飛び回っております。

 また、2016年には内閣府の地域活性化伝道師に任命され、街創りのプロ300名の一員として年間50カ所程度を行脚しております。

  1. 地域の価値の見つけ方

 地域の価値の見つけ方としては、移動して比較することがポイントだと思います。秋田にそのまま居るだけでは秋田の魅力には気付きません。そういう意味では、私は移動して比較するということを職業にしているようなものですから、

秋田の魅力が沢山見えます。

 講演で秋田に行ったことがありますかと聞くと、ほとんどの方が行ったことが無いと答えますが、行ったことが無い都道府県ランキングでは、秋田がここ6年間1位です。そういえ意味では誘客の余地が最も高い県ということになります。

 秋田を訪問しない理由としては陸の孤島、行く理由が無いことを挙げる方が多いです。秋田はFBのユーザー数、ゲームソフトや楽器の購入数がワースト1、カメラの購入数がワースト3、CDの購入数がワースト4、映画館、ゲームセンター数が東北最下位です。

日本酒消費量がベスト2、睡眠時間がベスト1ですので、酔っぱらって寝ているのが秋田県人かと思いたくなります。

 しかし人口減少率、少子高齢化率等が最先端で進む秋田は課題先進県でもありますが、県内を廻っていると思っていたより人が居ること、観光資源や特産品が有ることに気付きます。

 アートは破壊から生まれる、クリエイティブ・創出は何かが無くなって行く時に生まれると私は思っております。そういう意味では、秋田は色んなものが無くなっていっている訳ですから、今がチャンスかなと思っております。

 マドリッド、北京、ニューヨーク、ローマの共通点は何でしょう。そう北緯40度上に存在しているということです。なんと秋田も北緯40度上にあります。見方を変えれば日本のニューヨークが秋田なのです。

 グーグルで秋田を検索するとずーと犬が出てきます。海外から見ると秋田は秋田犬ということになります。ということで北緯40度や秋田犬とかで秋田を海外に売り込んで行く方法はいくらでもあるのではないでしょうか。

 私が考える上での方程式は、3K・M二乗です。価値を見つけて課題を考えて解決策を作っていくことが、アイディアを出していく時の考え方です。アイディアを実現するために必要なのがメンバーとマネーです。

 どのようにして価値を見つけるかをお話しします。私がやっている農業や古民家は価値として見られていませんでした。東京から北秋田に来たお客さんが美味しいお店ありませんかと聞いても、地元の人はそんな店は無いと答えます。地元の人が地元の価値に気付いていないのです。

 気付いていない理由は行動範囲が狭く、少なく、他を知らないからです。コミュニケーション量が少ないからです。

  1. 価値の育て方・拡げ方

 日本各地を移動していると秋田の価値に気付きます。価値を見つけたら課題を考えて、価値を活用した解決策を策定すれば良いのです。それが逆になっているのです。社会的な課題から考えていくと何処も一緒ですので、解決策も皆同じになります。

 しかし価値から考えていくと地域でそれぞれ違いますし、自分のこととして考えると解決の仕方も変わってきます。社会的課題からスタートしても現場を見ると、本当はここが問題なのだと新しい課題に気付きますし、オリジナルなものが出来るのです。

 最後に解決策ですが当事者ではなかなか見つけられない、秋田のことは秋田の人ではなかなか見つけられないということがあるのではないでしょうか。そのため第三者とか異業種の方の力を借りるということがポイントです。私が農業や古民家と向き合った時は、第三者あるいは異業種の目で対応しました。

 シャアビレッジは村長、家主、家守、お庭番、大名で運営しておりますが、それぞれが事業をやっていますし、出身地も地元密着型3名、東京からの移住組2名がチームを組んでやっているので、上手く機能していると思っております。

 解決策を考えたら誰に伝えるのかを考えなければなりません。シェアビレッジの場合は田舎を持たない都市出身の若者をターゲットにしました。そのうえでデザイン、ネーミングとかキャッチコピーを作りました。

その結果関東地区には千人以上の村民がおり、その他の都市部には千人以上の会員がおります。年齢区分では16歳から80代までと広範囲ですが、20代から30代前半までが最も多い層です。

 実行段階で必要なのは仲間と資金です。人を巻き込むときに必要なポイントは五つあります。情熱、ちゃんと伝えること、ワクワクすること、共感してファンになってもらうこと、ウェブとリアルを両方掛け算していくことです。

 地域には2大世代がおります。何事にもネガティブなお年寄り世代と無気力な若者世代です。この人達を巻き込んでいかないと地域ビジネスは成り立たないので、巻き込む工夫をしなければなりません。

 この世代の人はFBをやっておりませんので、兎に角見せることがポイントです。お婆ちゃん達にはやって見せること、若者にはインスタとかツイッターとかでビジュアルで見せていくことが大事なことです。そして端的に伝えることです。

 なぜビジュアルとメッセージかということですが、世の中に流行っているソーシャルネットワークビジネスがビジュアル化、短文化しているからです。秋田県はこのような流れに疎い感じがしますが、絶対に取り入れていかなければならないと思っております。コンパクトでインパクトのあることをやるということです。タイトルで本文に興味を持ってもらうとうことです。

 例えばシェアビレッジでクラウドファンディングを募集した時は「年貢を納めて村民に!シェアビレッジ町村 村民千人募集します」をタイトルにしました。短文で面白そうと感じてもらい、本文に引き込むやり方です。

8. まとめ

今、田舎に足りないのは何でしょうかと聞くと真っ先に人口、若者、お金、情報、知名度が挙げられますが、私はワクワク感ではないかと考えております。

真面目に地域課題の解決に取り組むというよりは、ワクワクする仕組みにするとサービス、ビジネスに人は集まってくるのではないでしょうか。ワクワクする力、インターテーメントの力をもっと秋田に取り入れましょう。

 秋田は可能性が無限大にあると思っております。国の流れでみると国交省は民泊、農水省は農泊を推進しております。インバウンド・外国人観光客が今年は2千2百万人、2020年は4千万人、使用するお金が8兆円と予想されております。さらに総務省も移住や観光ではない関係人口の増加に2.5億円の予算をつけて推進しております。

 この民泊、農泊、関係人口の増加がまさに秋田にマッチしたビジネスではないかと考えております。手付かずの自然が沢山残っている秋田を体験するために、沢山の人を呼び込めるようなワクワクする田舎を創っていくことが、これからの秋田の田舎だから出来るビジネスではないかと考えております。

(文責:秋田人変身力会議 事務局長 永井 健)

 

第60回変身力研究会報告/「ザ・新聞記者」~進む政治の私物化と瓦解する官僚達~


 5月12日に望月衣塑子氏(東京新聞社社会部記者)を講師にお迎えして、

秋田ビューホテルで「ザ・新聞記者」~進む政治の私物化と瓦解する官僚達~

をテーマに第60回変身力研究会を開催しました。以下は研究会での講演要旨

です。

1.はじめに

 秋田には初めて来ました。私の天敵と言われている菅官房長官の故郷という

ことで、縁を感じながら足を踏み入れました。私が所属する東京新聞は、関東

の一都六県をエリアとするブロック紙で、名古屋の中日新聞社が親会社になっております。

 新聞記者は地方の支局2~3カ所を回ってから本社社会部勤務となることが多いのですが、私の場合は3年間千葉、横浜支局で勤務しその間、警察の捜査二課や地方検察庁特別刑事部が扱う、政治家が関わる贈収賄事件に興味を持つようになり、田中角栄元首相を逮捕した東京地検特捜部を担当したいと希望を出していたところ、4年目に希望が叶って本社社会部に配属されました。

2.スクープ

 私が東京地検特捜部の担当になった頃に特捜部が取組んでいたのは、日本歯科医師連盟(日歯連)からの政治家へのウラ献金疑惑でした。私は関係者への夜討ち朝駆けを繰り返した結果、日歯連からウラ献金を受けた自民党所属の国会議員の実名が、金額や日付とともに20数名ほど記載されたリストを日歯連関係者から入手しました。

 このリストには野中弘務元自民党幹事長への5千万円のウラ献金も記載されておりましたが、検察庁の裏金問題を調査していた自民党の追及を野中さんがモミ消してくれたということで、検事総長の指示で立件しませんでしたが、最終的には橋本派への1億円のウラ献金を立件し、橋本元首相が橋本派の会長を辞任するとか、自民党の政治資金団体である国民政治協会の大物事務局長を事情聴取するとか、自民党の中枢に切り込む捜査をしました。

 このように当時の検察は、権力を監視するのは自分たちであるとの気骨があったように思いますが、最近の森本問題では詐欺罪で籠池理事長夫妻を起訴するだけで、8億円を値引きした財務省理財局関係者を立件しない大阪地検の姿勢には問題があると思います。

 なおその後、日歯連が公明党所属の坂口労働大臣にもウラ献金していたということを東京新聞がスクープしたところ、同党から名誉棄損で告訴され、東京地検特捜部から厳しい事情聴取を受けることになりました。

 結果としては不起訴処分になったものの、被疑者として事情聴取を受けたことは、その後の被疑者への取材について考えされられるものがありました。

 特捜部担当は夜討ち朝駆けが常態化していましたので、午前1時過ぎに検事から銀座で飲んでいるから来いと呼び出されハイヤーで駆け付け、朝4時頃に解放されたのでそのまま6時に毎日ジョギングしている検事から情報を得るためにそのハイヤーを使用したことで、会社の自動車部からハイヤーの使い過ぎということで、1年半後に整理部に異動を命じられました。

 整理部での仕事は各部署から送られてくる記事の価値を判断して、見出しを付け、紙面をレイアウトすることでした。異動当初は8時間椅子に座っての作業は苦痛でしたが、送られてくる記事を見ているとそれまでは頭の中は事件一色だったのですが、国際的なニュースや経済、家族の問題、教育等が詰まって始めて新聞となり、一個の商品として読者に届けられるということを学びました。

 しかし整理部で1年半も過ぎるとまた現場に行きたいと血が疼いて来た頃に、私のしつこい取材を評価してくれた他社から現場に戻って来ないかと声を掛けられました。

 特に日歯連問題で衝撃的なスクープを出し抜かれた読売からは熱心に誘われたので、同社の面接等もパスし最終判断する段階で父親に相談したところ、それまで進学や就職について何も言わなかったのに、長い沈黙の後「読売だけは行かないで欲しい」との回答があり、一夜悩んだ末に父親の意見に従いました。

 その後解ったことですが、読売の社則では読売の記者の肩書で講演等の情報発信することは、許可されないということでしたので、移籍していれば今回のように皆様とも会う機会が無かったということになります。

 その1年後に埼玉支局に異動になりますが、埼玉勤務は心身とも充実した1年半でした。印象に残っている事件としては、埼玉地検熊谷支部の國井検事が取調室で暴力団の組長に子分の組員への電話を命じ、隠し持っていた多くの拳銃の中から一丁だけ組長の自宅に持って行き、それを検察に提出したことをスクープしたことです。

 その後國井検事は大阪地検に異動し、無実の厚労省村井課長を障害者郵便物特例法違反で起訴しますが、その際同僚検事が証拠を改竄していたことが暴かれる等、検察の一大不祥事を引き起こしております。

3.武器輸出問題に取組む

 埼玉支局勤務から社会部に戻ってから結婚、出産という人生の大きな節目を迎え、二児出産後の育児休暇明けに経済部に異動しました。東日本大震災後の原発が大きな問題となっていましたが、子育てとの両立が難しくイライラしていた時期に、部長から日々の取材にこだわらずに調査報道に腰を据えて取り組めばいいのではとのアドバイスを頂きました。

 第二次安倍内閣は平成26年4月に「武器輸出三原則」を撤廃し、「防衛装備移転三原則」を閣議決定しました。それまでは武器輸出に慎重な姿勢で取組んできたのに、武器の輸出入を実質的に解禁したのです。

 戦前、戦争に突き進む政策を新聞が止められなかったとの反省のもとに、東京新聞も政府の政策を監視してきましたが、武器輸出は日本の平和国家として進んできた道を覆すものであると考えて取り組むことにしました。

 しかし、取材は困難を極めました。日本最大の防衛産業メーカーである三菱重工の取引先に出掛けた時に、「望月記者の取材には答えなくていいとの連絡が三菱からあったので申し訳ない」と取材拒否されました。

 防衛省の記者クラブに入ったので、幹部に挨拶に行ったら延々と1時間防衛の重要性について説教されたこともありました。

 それでも取材を続けていくと武器製造には関わりたくないと話す経営者もおりました。死の商人と呼ばれたくないということと、武器の機密漏洩に関する

規則を守るのが大変だということでした。

 大型の輸出商談としては親日家だったオーストラリアのアボット首相からそうりゅう型潜水艦の共同開発の申出があり、積極的に対応していましたが、同国に中国人が毎年45万人も移民している現実を知り、移民を通じて機密情報が中国に漏洩することを懸念して中止となりました。

 なお、三菱重工や川崎重工の防衛需要への依存度は現状15%以下ですが、アメリカのロッキード社のように防衛需要が60%以上の企業もあるので、将来的には日本の企業も防需依存がこれ以上多くならないように監視してゆくことが大事だと考えております。

  1. 森友学園問題

 昨年の2月9日付け朝日新聞の「森友学園に大阪の国有地売却 価格非公表 近隣の1割か」のスクープで、森友問題に籠池夫妻の強烈な個性と相まって火が付きました。

 当初、中日・東京新聞グループは関西地域の問題と捉えて、積極的ではなかったのですが、安倍昭恵夫人が学園で講演している動画が毎日のようにテレビで放映されたことから、財務省が絡む汚職問題に波及していく可能性があると考え、編集局長に直訴してこの問題の取材チームに加えて頂きました。

 なお当時の萩生田官房副長官がマスコミ各社に報道の中立性(賛成、反対意見を半々で報道)を確保するようにとの文書を配布したことが、この問題に対する報道姿勢に影響を与えたことは否めないと思われます。

 しかしテレビ東京だけが萩生田文書に忖度することなく、昭恵夫人が森友学園の瑞穂の国記念小学院の名誉校長に就任していたこと等を報道し、高視聴率を挙げたことから、各社も競って報道するようになりました。

 加えて籠池夫妻のパフォーマンスがワイドショー向きだったことも影響していると思いますが。

 このような事態に対応するように篭池夫妻が昨年9月に逮捕されてから釈放されていないのは、検察が安倍首相に忖度しているのではと疑わざるを得ません。

 また、昨年12月に提出された会計検査院の報告書には、8億円余の値引きについて30%~70%程度根拠が不十分であると記載しております。

 財政法では国有財産は出来るだけ適正価格で売却することとしておりますが、本件については特例を連発しております。売却を前提とした土地の貸付、売却代金の延納やローンの分割払い、売却価格を提示していないこと等です。

 以上のとおり国政を揺るがす大問題に発展した森友問題をスクープした朝日新聞の記事は、今年の新聞協会賞ではないかと予想しております。

 その後国会に提出した森友学園への土地売却に関する公文書が改竄されていたことが判明しました。行政の最強組織である財務省が公文書を改竄して国権の最高機関である国会に提出していたということは、民主主義の根幹に関わる問題です。

  1. 瓦解する官僚

この問題で参考人として出席した当時の佐川理財局長は、交渉記録、政治家の関与、価格交渉は一切ありませんと明言しましたが、官僚の国会答弁は記憶にありませんとか曖昧なものが多いのに、この答弁は奇異に感じました。

 この答弁の基になったのが安倍首相の「私や妻がこの問題に関与していたら首相のみならず議員も辞職する」との国会答弁であったからと言われております。

 その後佐川氏は証人として国会に招致されましたが、その際には「刑事訴追の恐れがあるのでお答え出来ません」を連発し、事実上証言を拒否しましたが、首相、首相夫人、官房長官等官邸からの関与は一切ありませんと断言しました。

 福田財務次官のセクハラ問題も前代未聞の事件でした。録音があるのにその事実をなかなか認めなかったこと、下村元文科大臣の「週刊誌に記事を売ったことは嵌められたようなもので犯罪ではないか」との発言、麻生財務大臣の「

次官の音声を流すなら告発した女性の音声も流したほうが良いのではないか」と女性の二次被害を助長するような発言には呆れてしまいました。

 首相及び官房長官が麻生大臣の発言を制御出来ないのは、首相の三選支持を得たいためとも言われております。

 昨年5月に朝日新聞が当時内閣府国家戦略特区担当であった藤原審議官が、加計学園獣医学部の認可は総理のご意向であるとの文科省宛て文書の存在を報道しましたが、この報道に菅官房長官は怪文書と一蹴しました。

 その1カ月後に共謀罪法案が参議院で強硬採決されますが、総理は共謀罪法案審議中に総理の腹心の友と言われる加計孝太郎氏との関係を質疑されるのを嫌がったため急いだとも言われております。

 国会閉会後に菅さんが怪文書と一蹴した文書が文科省に存在していたことが明らかになりますが、菅さんは怪文書との発言を撤回しませんでした。

 文書のなかには萩生田官房副長官の指示で、藤原審議官が獣医学部新設の3要件として新たに付け加えられていたものがありましたが、その要件の一つが広域的に存在しない地域に限るということでしたので、それまで新設を計画していた京都産業大学が合致しないことになり、加計学園だけが要件を満たすことになりました。

 この件に関して萩生田副長官に問合せたところ、同人から藤原審議官には指示していないとの回答がFAXであり、山本地方創生大臣が記者会見で私が指示しましたと明言しました。ちなみに萩生田副長官は衆議院選挙落選中に加計学園が経営する千葉科学大学の客員教授に就任しており、その間月10万円の手当を支給されていました。

 また、前川前文部次官の会見で明らかになった泉首相補佐官は、獣医学部の新設に抵抗していた農水省や文部省の幹部を呼びつけて早期の認可を指示していたようです。泉補佐官の主な任務は原発や新幹線のインフラ輸出ですが、武器輸出や加計学園問題にもその推進役としての役割を果たしていたようです。

6. 前川前文科事務次官

 読売新聞が昨年の5月22日に「前川前次官 出会い系バー通い 文科省在職中、平日夜」と社会面で報じましたが、その直後に朝日新聞、週刊文春に同氏とのインタビュー記事が掲載され、同日に同氏の記者会見が行われました。

 前川氏は記者会見で「萩生田副官房長官が指示し藤原審議官の意向を記載した文書を文科省在職中に見たし、共有された文書なのでちゃんと調べれば出てくると述べると共に、獣医学部新設は十分な根拠が無いとし、文科省は公正と公平を貫いて欲しい」と話しました。

出会い系バー通いについては「女性の貧困の実態を調査するためだった」と話しましたが、私としてはちょっと無理があるのかなと思い、後日インタビューすることにしました。

 読売新聞が前川氏の口封じのためにこのような報道をしたとしたら、マスメディアとしてやってはいけないことを、一歩踏み越えてしまったとショックを受けました。

 戦前、政府の間違った戦時状況を国民に知らせ続けたことを反省し、仮にそういう事態が発生した場合にはどのように権力と対峙していけばよいのかを考えさせられました。

 前川氏へのインタビューでは「文科省に入ったのは戸籍のない子や貧困家庭の子供達に充分な教育を与えるためには何ができるかを考えるためであり、民放のドキュメンタリー番組で、出会い系バーでお客と会話をするだけで数千円をもらう高校生ぐらいの女性の存在を知り、今の教育行政でも取り残されている子達がいるので、何が問題なのかを探るためだった」とのことでした。

 「女性のほとんどは数学に躓いて高校を中退していたので、高校での数学の必修を外したらどうかと文科省で提案したが聞いてもらえなかった」と話しておりました。

 なお、前川氏に安部政治について聞いたところ「首相の最終目的は9条の撤廃を含めた憲法改正だと思うが、第一次内閣で教育基本法を改正した頃からその政治姿勢に危惧を感じていた」と話しておりました。

  1. 首相、官房長官の記者会見

 官邸での首相の記者会見が物凄く減っております。民主党政権時は年間26回行っていましたが、昨年の安倍首相の会見は4回でした。

 官房長官記者会見は平日午前午後と2回定時会見を行っておりますが、その様子を動画で見るときっちり聞いていないことが解りました。出席する記者は主に菅番の政治部記者ですので、日頃の付き合いもあり長官が答え難いことは聞けないだろうと思ったので、記者会見に出たいと部長にお願いしたところOKが出ました。

 昨年の6月6日に初めて官房長官記者会見場に足を踏み入れて「官邸は前川前事務次官等次官級の身辺調査や行動調査をしているのですか」と質問したところ「承知しておりません」との回答があったので、質問を重ねるうちに進行役から「簡潔に願います」との注意があったが、怯まずに質問を続け一人で10分以上質疑に時間を使っていました。

 テレビ等でも報道されたことですのでご存知の方も多いと思いますが、元TBSワシントン支局長から性的暴行を受けた女性が、警視庁に告訴状を提出し受理され逮捕状が出たので、捜査員がアメリカから帰国する同氏を成田空港で待っていたが、上層部からの指示で逮捕が停止された案件がありました。

 6月8日に2回目の記者会見に出席して前川氏の件と上記案件を計23回質問したこともあり、記者会見時間が37分と長時間に及んだことで、菅長官は会見後に定例となっていた菅番の囲み取材に応じないで、足早に去って行ったことがありました。

 このためかその後当社の官邸キャップから「一人一つの質問が長いとか、一人で何度も質問することで、質問が一人一問に制限される等の懸念があるから注意して欲しいと、記者クラブの総意として伝えられた」と電話がありました。なにか釈然としなかったので、官邸番の先輩記者に電話したところ「総意はなかったことになった」とのことでした。

 その後森友、加計問題や逮捕停止問題へのそれぞれの官庁の対応をしっかり調査すべきであると、記者会見で何度も菅長官に質問しましたが、「調査はしません」の答弁が繰り返されただけで進展はありませんでした。

 加計学園の獣医学部新設問題が過熱していた一昨年の秋に、毎月のように安倍首相と加計孝太郎氏がゴルフや会食をしていたことが報じられています。

 首相は国家戦略特区の最大の職務権限者ですから贈収賄疑惑も生じ兼ねません。首相は裸の王様になっているのではないか、首相周辺の数人の人達だけが疑惑を否定しているだけで、声には出さないけれども多くの人は首相と孝太郎氏の関係を疑惑の目で見ています。

 首相とマスメディア首脳との会食も度々開催されていることが報道されていますが、首相の憲法改正試案を読売新聞が報道する等、マスメディアも首相に取り込まれているように思います。

 私は今年の1月から質問が1問に制限されましたが、制限された理由も言われておりません。しかし3~4問質問している他社の方もいたので、その実態をツイッターで呟いたところ2問まで可能になりました。

 また、北朝鮮対応について米軍の微妙な方針変更が見受けられたので、日本は圧力一辺倒で良いのかと質問したところ、方針変更は無いとの回答があったが、そのことが報道されると北朝鮮のスパイではないかとバッシングを受けました。

 昨年の8月にNHKが加計学園獣医学部の認可保留へとのニュースを流したので各社が一斉に確認取材をし、そのことを官房長官に「認可保留になったのは内閣府での議論が不十分であったのではないか」と質問をしました。

 認可保留は私が質問した日の午後に正式発表されましたが、内閣府の報道室から「未確認情報で質問することは止めてもらいたい」との苦情がきました。

 北朝鮮がミサイルを発射した2回とも、安倍首相はそれまで避けていた官邸に宿泊していたので、記者会見で「首相が官邸に宿泊する翌日にミサイルが発射されると思っていいですか」と質問して、官房長官だけではなく首相も怒らせてしまったようですので、そのような苦情がきたのではないかと思っております。

  1. メディアの役割

 メデイアの役割は権力の監視・チェックです。世界の報道自由度ランキングでは鳩山政権の11位が最高で、昨年は72位、今年は67位とG7の中では最下位です。

 ジャーナリズムとは報じられたくないことを報じることであり、その以外のことは広報に過ぎないと私は思っております。萩生田文書が出てきて以降、萎縮していてはいられないとの動きが出てきております。

 会社の意向がどうかではなく、ジャーナリストとしてどういう信念を持ってやるかだと思います。今、会社やネットフリーランスを超えた勉強会も始まっております。

先ず、自分が世の中のために何が出来るかを考え続けなければいけないと思います。五感をフルに使い、自分が権力と対峙出来る位置にいるかどうか、自分の疑念が自分の内のなかで解消できたかどうか。世界の人のためにベストになっているか、少なくともベターになっているか、自分ため、お友達のためではなく、世界の人達のためになっているかを考え続けていかなければならないと思っております。

  1. おわりに

 最後に憲法についてお話します。今年は憲法改正の発議は見送られると言われておりますが、安倍首相が自民党総裁に三選されれば必ず憲法改正が発議されます。憲法9条を核とする現憲法が改正されないためにも、現憲法の制定を提唱したとされるGHQマッカーサー元帥の言葉を紹介致します。

「正気の沙汰とは何か。武装制限が正気の沙汰か、それこそ狂気の沙汰であるという結論は、考えに考えた末にもう出ている。世界は今一人の狂人を必要としている。自ら買って出て狂人にならない限り、世界は分割競争のアリ地獄から抜け出すことは出来ない。これは素晴らしい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を今こそ日本が果たすのだ。」

 彼のこの言葉で、国民が一人も戦争に巻き込まれることない平和国家日本が築かれた来たので、この言葉を次の世代に引き継いで行きたいと思っております。

 バッシングの多いなかで私が自分に言っていることがあります。「あなたのしていることのほとんどは無意味である。でもそうしなければならないことがある、それをするのは世界を変えることでは無く、世界によって自分自身が変えられないためである」

以 上

(文責:秋田人変身力会議事務局長 永井 健)

 

第59回変身力研究会報告/秋田が逆境をはねのけるために~「働き方改革」の2年間でみえたこと~


 3月14日に山田 薫 氏(日本新聞新聞秋田支局長)を講師にお迎えして、協

働大町ビルで「秋田が逆境をはねのけるために」~「働き方改革」の2年間で

みえたこと~をテーマに第59回変身力研究会を開催しました。以下は講演要

旨です。

  1. はじめに

 荒谷会長から紹介がありましたが4月1日付けで東京社会部に戻ることにな

りました。支局長は3年程度のサイクルで動くことが多いのですが、2年で秋

田を離れることになりました。前任も後任も私の大先輩ですので、支局長とし

ての秋田への赴任は驚きでしたが、幼い双子の子供を連れての秋田での生活

は、妻も気に入っており4年程度は居たいと思っていたので残念です。

 日経の秋田支局は秋田市役所北側のけやき通りに面しており、1階がガレー

ジ、2階が支局の事務・応接室、3階が4LDKの居宅になっているので、階段

を1階降りるだけで職場に通える等、労働環境には恵まれておりました。

2.「働き方改革」の2年間

 秋田での生活は、朝8時に子供を保育園に送ってから9時に出社し、取材や

原稿書き等の仕事をして夕方に保育園に子供を迎えに行き、夕食を済ませて事

務所で8時~10時頃まで仕事をしていました。

 秋田に転勤になる前8間年在籍していた東京社会部での生活は、事件が弾け

た多忙期には、夜討ち朝駆けということで、朝6時半頃に家を出て関係者宅前

で待機しコメントを取り、朝食後の10時頃出社して取材整理や原稿書き、情

報収集等を行い、相手が帰って来る頃に再度関係者宅前で待機しコメントを取

って、10時頃に夕食を取り終電で帰っていました。

 このため子供と会っている時間が無いので、双子の兄弟のため見分けがつか

ず、足首に紐をつけて識別しておりました。

 東京と比較すると秋田での生活は職住一体ということもあり、子供と過ごす

時間も取れる等恵まれたものでしたが、やるべき仕事はやっていたと思ってお

ります。

 地元情報は地元紙にかないませんが、キラリと光る企業等を発掘し記事にし

ました。秋田在籍の2年間で東北版のアタマ記事として掲載されたものが50

件と記者が4人在籍している仙台支局と1人当たりの掲載記事数では同数程度

となっており、それなりに頑張ったと思っております。

 印象に残っているのは、支局の近くにある美味しい居酒屋を一昨年の夏に取

材し記事にしたところ、全国版の夕刊に掲載され一昨年、昨年と東京からお客

様が来て下さっているとのことでした。

 やるべき仕事をするということは「選択と集中」を間違わないということだ

と思います。目の前の小さな仕事をやりたくなるのですが、そうしていると大

きな仕事を逃してしまうこともあるということです。

3.結果に向き合う

 秋田は魅力的で豊かな資源があるのにそれを上手く活用していないというの

が、私達のように転勤で県外から来た人の見方です。

 それなりに努力はしているのですが、結果から逆算した仕事が出来ていない

のではないかと考えております。

 具体的な事例としては現時点では明確になっておりませんが、おばこ農協の

コメ取引での56億円の巨額赤字の発生が挙げられます。同農協はコメ販売量

日本一を目指して合併しましたが、日本一を目指すために農家からのコメ買取

価格に多めの報奨金を上乗せし、信用調査会社によれば債務超過の卸売業者と

の取引で12億円余の未収金が生じている等、無理な取引を行っていたことが

判明しました。

 おばこ農協が向き合うべきは組合員農家の所得向上であり、コメ販売量日本

一では無かったのではないかと考えております。

 また、最近心配しているのは枝豆の売上日本一です。平成28年に日本一を

達成しましたが、山形県の統計では単価は8位となっており、儲からないので

止めたい話す農家もおります。

 同じようなことは、秋田県立美術館の改修工事についても云えるのではない

かと思いました。美術館は安藤忠雄氏の設計で平成25年に開館しましたがそ

の4年後の昨年に、1階の県民ギャラリーを壁で仕切る改修工事を実施するこ

とにし、8千万円の予算を計上しました。

 改修前に開催された秋田駅木質化プロジェクトを監修した秋田美大の小杉准

教授が企画した展示会を見たのですが、その時は外側のテラスを上手く活用し

て良い雰囲気を出していたので、安藤氏もそのような利用方法を期待していた

ではないかと考えました。

 改修の理由はギャラリーの使い勝手が悪く利用者が減少し、美術館への入場

者が減少したためとのことですが、議会でも余り議論された様子も無いので、

改修後の利用者数及び入場者数の推移を見守って行きたい考えております。

 結果に向き合わないという点では農業の6次産業化についても云えるのでは

ないでしょうか。地産の農産物で新規の商品を開発したので、道の駅で販売し

ますとのリリースが良くありますが、道の駅で売れなければ作っただけで終わ

ってしまいます。

 秋田空港では沢山のお菓子類がお土産として売られておりますが、売れてい

る商品は限られているように見えますので、6次産業化についても結果と向き

合う必要があるのではないでしょうか。

 県外から来たメディアの人は、秋田は発信力がないと良く話しますが、発信

するのは私達メディアの仕事なので、私達への売込みが無いということです。

 こういう製品を開発しましたので紹介して欲しいとの売込みが2年間で1件

だけでした。新規の商品を開発したので試食して欲しいとのお話しはありまし

たが、商品を持ち込んで来た業者はいませんでした。

作ったら販売し結果と向き合うという感覚を欠いているのでしょうか。

4.私の結果への向き合い方

 東京で私は社会部に属する事件記者でした。日経の社会部記者は朝日、毎

日、読売と比較すると二分の一から三分の一程度と少なかったのですが、日経

には警視庁捜査2課及び東京地検特捜部で扱う経済事件は絶対に落としてはい

けないという不文律がありました。

 このため、経済事件に関しては少ない人数でいかに勝つかという意識で仕事

をしていました。

そういう状況のなかで部下に話していたのは

  1. 不利を言い訳にしない②仕事をした気にならないということです。

人員不足を補うためには、特捜部事件では取調側の検察、被疑者側の弁護士

や家族に当たって被疑者の供述を引き出すことですが、どこから情報が出易い

のかを探ってそこに攻勢を掛けるのが、効率的な取材ということになります。

皆さんが経営する企業も人手不足ということで大変だと思いますが、それを

言い訳にしないで、省力化投資を行うか、工程を見直すか、仕事を絞り込む等

の対策を講じることが重要なことだと思います。

関係者宅で3時間も張り込んでいたら挨拶をされたので、仕事をした気でい

るとそれ以降の進展が無ければ、仕事をしたことに成らないということです。

結果の出る仕事をして旨いビールを飲んで、次の段階に進んでいくという好

循環が回り始めると仕事も楽しくなると思います。

5.終わりに

 先ほど秋田発のアタマ記事が多かったと話しましたが、記事の選定は仙台支

局長を経由して本社のデスク、部長が行っておりますので、秋田にはキラリと

光る食や観光資源が多いということだと思います。

 時間が無くて記事にしなかった事例ですが、日本に2社しかない木製の防火

扉メーカーが能代に立地していますが、納入先は高級ホテルや首相官邸等の要

人を迎える建物です。このメーカーの様に結果を出している企業もありますの

で、言い訳せずにしっかりと結果と向き合って欲しいものです。

 本日のテーマは逆境をはねのけてですが、秋田の逆境は人口減少や雪という

ことになりますが、私としては人口減少に拘ることなく豊かな資源を活用して

結果を出して欲しいと考えております。

 私ごとになりますが私の妻の母親は大仙市南外の勝軍山(しょうぐんざん)の

麓で育ちました。義母の兄はスペインで勝軍という名の日本料理店を営んでお

りますが、繁盛しているようです。

 ということで私は秋田とは少なからぬご縁がございますので、引き続き秋田

に関心を持ち続けたいと思っております。何かお役に立てることがあればご連

絡下さい。

 東京でも結果に向き合って仕事を続けたいと考えております。

             (文責:秋田人変身力会議 事務局長 永井 健)

第58回変身力研究会報告/「自然災害の防災・減災-地域社会・自治体の役割」~岩手山噴火危機・東日本大震災を事例に~


2月10日に岩手大学元副学長齋藤徳美氏を講師にお迎えして、協働大町ビ

ルで「自然災害の防災・減災-地域社会・自治体の役割」をテーマに第58回

変身力研究会を開催しました。以下はその講演要旨です。

  1. はじめに

 私はご紹介頂きましたように終戦直前の昭和20年3月に千秋公園のお堀の

近くで生れ、秋田高校から東北大学工学部に進み同大学の大学院博士課程を修

了して、岩手大学工学部に赴任、地下計測学や地域防災学を研究・講義する傍

ら、県が設置した防災に関する様々な審議会の会長と理事・副学長として大学

経営にも関わりました。

平成22年に退官して放送大学岩手学習センター長に就任しましたが、27年

に退任し現在は岩手県火山検討委員会座長等10余の審議会の会長を務めてお

りますが、時間的には依然よりは余裕のある生活を送っております。

  1. 頻発する自然災害へ~連携と連帯責任による岩手の減災への取組み

 岩手大学に赴任する際に先輩からの餞の言葉として「地方大学では地域に役

立つ研究をしなさい」と言われたので「地熱」と「津波」を研究することにしましたが、岩手大初の民間との共同研究の相手先であった日本重化学工業㈱の

土井氏との連携が、岩手山噴火危機対応に繋がることになりました。
昭和61年に他学科や地域との連携がないことに危惧を感じて、工学部の中

堅、若手教官の飲み会を始めましたが、その後県庁勤務の卒業生も参加した日

本初の産学官連携組織である岩手ネットワークシステム(INS)に発展し、

平成4年には会則を制定し、飲み会から共同研究さらには地域共同研究センタ

ーへと変貌を遂げ、現在会員数は知事、学長を含め1,100名、40研究室を有す

る組織に拡大しています。

 この間、平成7年に発生した阪神淡路大震災に衝撃を受けINS内に「地盤

と防災研究会」を設置し、地震に耐える構造物の研究を地質・設計等の学会、

業界関係者のみならず県・市町村等の職員も参加する組織で行うこととし、そ

の会長を務めると共に「盛岡市の地震危険度」を盛岡市と共同研究を行いまし

た。

 平成9年には火山性地震が観測された岩手山の防災を目的とした「INS岩

手山火山防災検討会」を発足させましたが、その後公的な組織として「岩手山

火山災害対策検討委員会」に改組しました。

 検討会は大学、行政、民間企業、報道機関など約60の機関及び個人が参加

し、毎週土曜日の午後に大学の食堂で通算75回開催しましたが、会議後は交

流会を開催して顔の見える交流を図りました。

 岩手山は270年間噴火の記録がないことから、行政・住民とも生きている火

山との認識がなかったので、10年に「岩手山火山防災マップ」を公表し、周辺

市町村の全世帯に配布するとともに、岩手山全山への立入を規制しました。

 12年には我が国初の火山防災ガイドラインを策定し、検討会が警戒本部長で

ある知事に学術的な助言行うともに協議し、市町村長が避難勧告を発令する際

に助言を行うことにしました。

 また、研究者、行政、報道機関、住民が連携して地域の安全を守る岩手方式

の火山防災「減災の四角錐」体制を構築し、実践しましたが、13年には地震の

減少と緊急通報装置などを設置したことから東岩手の入山規制を解除し、16年

には6年振りに全山の入山規制を解除しました。

3.6千名の犠牲者を出した津波防災~復興にはINSの遺伝子が貢献

 東北での記録にある大規模な津波災害は過去6回発生しており、最新期は昭

和35年に発生したチリ地震津波ですが、平成8年に岩手県、NHK、岩手大

学が共同で実施した津波に関する住民の意識行動調査では、防災に対しての認

識の甘さが浮き彫りになる結果が示されました。

 この間私も、大学の国立大学法人への移行業務のために、学長特別補佐とな

りそのまま理事、副学長を歴任して平成22年に退職しましたが、その翌年の

23年に東日本大震災が発生しました。

 震災後にINSメンバーである県の幹部職員、学長等と協議して「岩手県東

日本大震災復興委員会」の下部組織である復興計画の起草、進捗管理を担う

「総合企画専門委員会」の委員長に就任しましたので、復興の2本柱として

  1. 仕事(生業)を興す(2)安全を守る街づくりを打ち建て、「安全」の

確保と「暮らし」の再建と「生業」の再生を復興の3原則として取組むことと

しました。

 岩手大学も復興支援として「三陸復興推進機構」を学内に設置し、校是であ

る「岩手の大地と人と共に」をベースに「INSの遺伝子」を引き継ぎ、地域

に貢献する大学としての支援体制を整備しました。

  1. 豪雨災害に対応した風水害対策支援チームの結成

 平成28年8月に台風10号の風水害で岩泉町の小本川が氾濫し11名が死亡

する豪雨災害が発生しました。死亡者が多く出た要因として町長の避難勧告が

遅かったのではないかとの意見もありましたので、風水害が予測される事態で

は国、県、専門家等が連携して、市町村にリアルタイムでアドバイスする必要

があるのではないかと考えて、県の組織として29年6月に「風水害対策支援

チーム」を結成しました。

 なお、29年7月には秋田県でも記録的な大雨が降り雄物川が氾濫しました

が、和田秋田地方気象台長が前年の岩手県での経験を生かして、県内自治体の

首長とホットライン結び的確なアドバイスを関係自治体の首長にしたので、首

長の避難指示のタイミングも良く、人的被害はありませんでした。

 しかし、災害の減災のシステムが秋田県では個人の資質に依存しているのに

対して、岩手県では風水害対策支援チームで対応しているので、秋田県も参考

にして頂きたいと思います。

  1. 災害復興の課題は地域創生の課題~飢饉の国岩手と桃源郷秋田

 私が生まれ育った秋田は黄金の稲穂がたなびく佐竹20万石(実禄高は32万

石と言われた)の地で、やませ(山背)で飢饉が頻発した南部10万石(江戸

後期に高直しで20万石)の勤務地岩手と比較すると、美人が多くお酒が美味

い桃源郷です。

そういう意味では秋田は地域振興にあくせくしなくても良かったということ

で、地域創生への取組みが遅れてしまったのかも知れません。

INSの主要目的は地方創生であり、大学と地元企業との共同研究で企業の

技術力向上と大学の研究資金獲得、学生の地元定着です。

 津波復興事業で露呈された課題としては、復興資金が5省庁の40事業が中

心で地方がその資金を活用出来ないことであり、ハード対策は目に付くものの

人の姿が見えず、コミュニティーの復活が難しくなっていることです。

 地域の産業を活性化しなければ、地域に回遊する資金が少なくなるので、生

業(なりわい)を創り、地域が自立する復興施策を実施して欲しいと願ってお

ります。

 食料やエネルギーが安価に地方から大都市に送られており、地方がなかった

ら首都圏は成り立っていかないのに、東京一極集中が進み地方が衰退の一途を

辿っているのが現状です。

 私としてはこうした現状を大きく変えることは難しいので「人口減を止める

政策よりは、残っている5千名の町民の幸せを目指す政策」を実施して欲しい

と願っております。

 具体的には三陸鉄道を動脈として病院、学校、公共施設などのインフラを市

町村が共有し、金平糖の角のような特徴のある産業が立地するコンパクトヴィ

レッジが連なるイーハトーブの世界を創りたいと思っています。

  1. 国難は北朝鮮より自然災害~国は自治体に責任を押し付けるな

 自然災害は生きている地球の息吹です。大気(気体)と水(液体)は対流し

進化し続けることで気象災害が発生し、地球内部の超高温に起因するプレート

の移動で地震と火山の噴火が発生します。このため自然災害は地球が存在する

限り未来永劫発生し続けるのです。

 地震は現在の科学水準では予知出来ず、警報が出されても避難が不可能で

す。津波は地震に付随して発生しますので、予知出来ませんが到達まで相応の

時間がありますので、高所等に避難することで人命だけは助かります。

 繰り返しになりますが、地震観測が始まって140年になりますが、前述のと

おり地震の予知は不可能ですので、これからも想定外の地震及び津波に遭遇す

ることになると思いますが、地震発生時に出される「緊急地震警報」では被害

を防ぐには限界があります。

 南海トラフ地震程度の地震は100年に1回程度繰り返し発生しており、直前

の発生は1944年でしたので、今後10~20年以内に発生する可能性が高いと

思いますが、首都圏一極集中等リスク分散を怠って来たので、発生したら壊滅

的なダメージを受けると予想されます。

 政府は南海トラフ地震について3分で34mの津波が襲来するとの想定を公表

しておりますが、その対策を智恵もカネもない自治体に丸投げして責任を転嫁

しており、それで安全を確保が出来ると考えているのでしょうか。

 太平洋沿岸ばかりではなく、日本海沿岸も津波常襲地域であり、秋田でもそ

の対策をしっかりと立てておく必要があると思います。

  1. 噴火災害~火山噴火警戒レベルの落とし穴

気象庁では火山噴火警戒レベルを発表していますが、噴火災害は多様で正確な

予測は容易ではないなかで、平成19年から5段階の防災情報を発表していま

す。

 しかし最近噴火した御嶽山は警戒レベルが未設定であったこと、鹿児島県の

口永良部島はレベル3であったのを噴火でレベル5に引き上げる等、事前警報

の役割を果たしていないように思われます。

 事実、噴火警報の的中率は16%であり、御嶽山の噴火のように噴火を見逃し

た事例も13件あります。

国は火山法を改正して50火山周辺の129市町村を「火山災害警戒地域」と

指定し関係市町村、気象台、警察、消防、火山専門家らで「火山防災協議

会」の 設置を義務化し、火山ハザードマップ、噴火警戒レベル、避難計画の

策定を義務化しました。

しかし、噴火の歴史も不確かな火山で、どうシナリオを描き、マップを作成

し、安全な避難計画を策定できるのか甚だ疑問が残るところです。

今年の1月に前兆もなく突然噴火した草津白根山等の事例からみれば協議会

に責任を転嫁しているようにも考えられます。

 なお、秋田県の常時観測火山は十和田(警戒レベル未設定)、秋田駒ヶ岳

(レベル1)、秋田焼山(レベル1)、栗駒山(未設定)、鳥海山(未設定)と5

カ所を数えますが、レベル未設定が3カ所もある等、観測体制も活動評価体制

も不十分であると評価せざるを得ません。

  1. 未来により良い社会を引き継ぐのは私達の責務~未来責任と脱原発

私の岩手でのたかだか40年の研究者人生で、2度も未知の活断層が動いた

ことがありましたが、そのような事態に遭遇した時に、研究者としては幸せ
だったかと言えばむしろその反対でした。

日本では安定している山塊以外は活断層だらけということで、内陸地震の多

くは既知の活断層以外で発生しております。

研究者のカンで言えば、日本は活発な地殻変動や地震活動がみられる帯上の

地帯いわゆる変動帯が大部分であり原発不適地であるということです。

福島原発では原発建屋に貯蔵されていた核燃料は、電源を失ったことから冷

却不能となり、水素爆発や格納容器の圧力を下げるために行われたベント等で

大量の放射性物質が放出される等、史上例を見ない大規模な事故となりました。

 資源エネルギー庁は核廃棄物処理に適した地域は国土の70%と公表しました

が、変動帯上の日本では、核廃棄物の安全性が確認できるまでの10万年間に地

震が発生しないということは担保出来ないというのが、地球科学研究者の常識

ですので、原発不適地であるということは明白な事実です。

 阿蘇山を含む九州第四紀カルデア火山は1万年毎に噴火を繰り返しており、

そういう意味では明日にでも噴火するかも知れませんので、鹿児島の川内原発

が影響を受けることが必至です。

日本で商業原発が稼働して50年余となりますが、核廃棄物の安全性が確認で

きる10万年後までそのツケを後世の子孫に引き継ぐことは、人生80年の人間

としてはあまりに傲慢であり、一日でも早く原発を停止し、これ以上の核廃棄物

を増やさぬように政策転換することを願っております。

 

(文責:秋田人変身力会議 事務局長 永井 健)

第57回変身力研究会/日本銀行秋田支店100年の軌跡と秋田の経営者に期待すること


 11月21日に吉濱久悦日本銀行秋田支店長を講師にお迎えして、秋田ビュー

ホテルで第57回変身力研究会を開催しました。以下はその講演要旨です。

  1. 日本銀行秋田支店の仕事と100年の軌跡
    1. 秋田支店の業務紹介

 日本銀行は、明治15年に設立された認可法人であり、お札を発行し、物価の安定と金融システムの安定に努めるという使命があります。組織としては、本店のほか国内に32支店と12の事務所を、海外にも7カ所の事務所を置いています。支店は地域経済の要所に配置されていますが、秋田支店では発券課、業務課、総務課の3課体制で業務を行っております。

 発券課では、日本銀行券や貨幣を地域の需要に応じて流通させる業務、銀行券の真偽や損傷具合をチェックし、流通に適さないものを裁断処分する鑑査、損傷した銀行券・貨幣を新しいものと交換する引換業務を行っております。

 業務課では、「銀行の銀行」として銀行間取引の決済を、また「政府の銀行」として国税や社会保険料の受入、官庁給与等の支払い及び国債の発行事務を行っております。

 総務課では、地域の金融機関の経営状況等をヒアリングや資料の分析を通じて把握する金融モニタリング、「金融経済概況」や「短観」等を取りまとめて公表する経済・産業調査、支店見学の受け入れや、暮らしに身近な金融に関する広報や金融教育についての情報発信、支店建物・設備の維持管理、物品購入、各種経費の支払い、支店の警備等を行っております。

(2)支店100年の軌跡

 日本銀行秋田支店は、1917年(大正6年)8月1日に全国では12番目、東北地方では福島支店に次ぐ2番目の支店として開設されました。

 大正初期、秋田県内にあった銀行は、現金手当のために往復3日をかけて福島市まで出向く必要がありました。こうした状況に対し、地元銀行の頭取が連名で当時の若槻大蔵大臣、三島日本銀行総裁に支店設置の嘆願書を提出する等の地元からの強い要望を背景に、秋田県と青森県の2県を管轄する支店として誕生しました。

 当時の秋田県は第一次世界大戦の好況を背景に、米を核とする農業、秋田杉の林業、非鉄金属の鉱山等が好調で、大正4年~8年までの4年間で県内産業の総生産額が4倍になる等、急速に経済が発展した時期であり、北東北経済の要でした。

支店開設当時は、行員(支店長、書記、書記補)と雇員(見習・小使と呼称された事務官の仕事を助けるためにやとう者)が、営業・出納・国庫・文書のそれぞれの係に配属され、事務の大半を人手により行っていました。

 1935年(昭和10年)には、女性職員が初めて採用され、来客・電話対応、タイプ係として働いていました。

 のちに農民文学作家となった伊藤永之介(1903~1959)は、秋田市中通尋常高等小学校を卒業して2年弱の間、見習として勤務しております。

 1952年(昭和27年)11月には、老朽化のため、店舗を建替え、現店舗が完成しましたが、終戦後県内最大の近代建築として注目を浴び、県内第1号となるエレベーターの見学に近隣の方々や小・中学生が多数訪れました。

  1. 秋田の経営者に期待すること

(1)日本経済の現状

今年の日本経済は、輸出に加えて、民間需要(個人消費、設備投資)や、2016年度第2次補正予算案件の執行が進む公共投資が景気をバランスよく牽引していることから、年率1%台後半の経済成長が見込まれています。

また、世界経済について、IMFでは3.6%の成長率を予測していますが、その内訳は先進国2.2%、中国を含む新興国・途上国は4.6%の成長を予測しています。2000年代に入り、新興国・途上国の世界経済の成長における存在感が増し、先進国は低成長トレンドになっていますが、総じてみれば、海外経済は緩やかな成長が続いています。こうした海外経済の現状を受けて、日本から海外への輸出については増加基調にありますが、米国向けではSUVの販売好調を受けて自動車関連中心に増加しているほか、中国等向けではスマホ部品等、情報関連や中間材を中心に増加基調となっています。

企業経営者の景況感も改善しており、短観の結果(業況判断D.I.)をみても、全ての規模の企業で景況感が改善しています。また企業収益が改善する下で、設備投資は緩やかな増加基調にあるほか、鉱工業生産も内外需要の増加を背景に増加基調にあり、出荷・在庫バランスも改善した状況にあります。

労働需給は、皆様も人手不足を感じていると思いますが、直近の失業率は2.8%、有効求人倍率は1.52倍と、労働需給は着実に引き締まっています。こうした中でパートを中心に賃金は上昇しています。

この間、消費者物価については弱めの動きが続いていますが、これは企業の賃金・価格設定スタンスがなお慎重なものにとどまっていることなどが背景となっています。もっとも、マクロ的な需給ギャップが改善を続けるもとで、企業の賃金・価格設定スタンスが次第に積極化し、中長期的な予想物価上昇率も上昇する結果、消費者物価の前年比は2%に向けて上昇率を高めていくと考えております。

(2)秋田県経済の現状

11月時点で本県の景気判断を従来の「緩やかに回復している」から「回復している」に上方修正しました。個人消費が緩やかに増加していること、公共投資が7月の大雨被害の復旧工事等で緩やかな増加基調にあること等を勘案したものです。

 また当店が四半期毎に行っている短観(業況判断D.I.)からは、全産業で1991年8月調査以来の景況感の改善と、全ての業種で景況感が改善または横這いとなっており、景気回復の裾野の広がりが窺われています。

(3)秋田県の課題

 人口減少

  秋田県の人口は29年4月1日時点で100万人の大台を割り込みました。社会減の要因としては若者の就職先・進学先としての選択肢が少ないこと等が挙げられます。 また県内人口に占める65歳以上の割合は全国の中でも高くなっており、先行きも上昇が続くことが予測されております。

直近の有効求人倍率は全国で1.52倍、秋田県で1.37倍と求人数が求職者数を上回っており、人手不足状態が続いております。本県では求人数の増加よりも求職者数の減少が倍率上昇の要因として大きい傾向が見受けられ、一言で人手不足と言っても、その背景は大都市と秋田では異なり、人口減少が影響していると考えられます。

② 高齢者・女性活用の推進

秋田県の70歳以上まで働ける企業の割合は全国一であり、高齢者の活用が進んでおります。

女性の年齢階級別労働力率をみると、出産・育児等で労働力率が低下する30 歳前後の労働力率の落ち込みが全国比少なく、共働き世帯の割合も51%と全国13位である等女性の活用も進んでおります。秋田では託児所の整備に加え、育児に祖父母の支援が得られることも影響していると考えられます。

しかし、企業の管理職に占める女性の割合は14%で全国44位と遅れているので、

今後の課題と考えております。

③ 労働生産性の向上

総人口の都道府県別順位は、秋田が2014年度で38位となっており、本県より人口が少ない県は9県あります。

付加価値額を就業者数で割って算出する労働生産性の都道府県別順位をみると、秋田は36位となっております一方、秋田より人口が少ない徳島県は5位、和歌山県が20位と一部の県で順位は逆転します。経済的な豊かさを測る尺度には様々なものがありますが、これから日本全体が少子高齢化・人口減少社会になる中にあって、高い労働生産性を実現し、質の高い経済を実現することは大切なことと思います。

秋田の生産性が徳島、和歌山よりも低いのは、製造業の生産性が両県よりもかなり低いことに起因しています。

徳島県、和歌山県が労働生産性を向上させるために推進している施策には、県外需要を取り込みながら、企業間連携により生産波及効果を高めるという点で共通したものがあります。またこうした施策の中で、若者・女性の雇用の受け皿となりやすい産業を振興するということも強く意識しているように思われます。

今後、秋田の製造業の労働生産性を高めるために育成すべき主な産業としては、産業連関表等の分析から本県産業への波及効果が高い、県産の農林水産物を原材料とする飲食料品製造業、パルプ・紙・木製品製造業及び需要の拡大が期待出来、集積が進んでいる電子部品関連の製造業が考えられます。

(4)秋田の経営者に期待すること

 これまで秋田県の課題をお話しして来ましたが、この課題を克服するために秋田の経営者に期待することを3点お話しさせて頂きます。

 1点目は秋田の人口減少は待った無しで進行しますので、人口減少先進県として積極的に省力化投資を実施し、生産性向上に取組んで頂きたいことです。

 2点目は秋田には原材料として活用出来る豊富な農水産物と、風力等の資源もありますので、産学官金の連携のもとにアントレプレナーシップを発揮して、付加価値の高い製品の開発に取組んで欲しいことです。

 3点目は経営者の重要な役割として人材の育成がありますが、未来を切り拓こうとする経営者の思いを若い社員と共有し、活力ある企業を創って欲しいことです。

(文責:秋田人変身力会議 事務局長 永井 健)


第56回変身力研究会/地域社会を活性化するための地域リーダーの役割


10月4日に「変身大賞受賞者と語る秋田の未来」をテーマに大町協働ビルで

シンポジウムを開催しました。本稿はプレゼンテーター3名のうち地域資源の会

秋田代表の加藤真一氏の掲題をテーマとした講演要旨です。

  1. はじめに

 第五回変身大賞を受賞した地域資源の会代表の加藤です。私は昭和25年生

まれで、大学紛争のため東大の入試が行われなかった昭和44年に東京の大学

に入学しましたが、当時も今と同じように東京一極集中の時代でしたので、こ

れを是正するためには、地方自治の確立が重要ではないかと考えて、篠原一先

生のゼミで勉強し、先生の勧めもあって革新の葉山峻氏が市長を務める神奈川

県藤沢市で教職に就きました。

 当時の神奈川県は地方から中央政府を包囲するという考えを持つ革新首長が

多く、横浜国大の教授から知事となった長洲一二氏、社会党の飛鳥田一雄横浜

市長、大学教授から転身した正木鎌倉市長、そして葉山藤沢市長が活躍してお

りました。

 日本の民主主義は観客民主主義と言われておりますが、私は見るよりは参加

すべきと考えて積極的に市政に関わり、両親が教員だったことから教育にも関

心があったので、教員をしながら昭和47年から平成8年まで6期24年間市長

を務めた葉山市政を支えました。

大学に入学したのは大学紛争が真っ盛りの頃で、学生運動家からはよく「君

達は何故大学に行くのだ」と詰問されました。あの頃の学生運動に対する評価

は未だ終わっていませんが、確かに破壊行為はありましたが「知とはなにか、

学ぶとはどういうことか」という根源的な問題を問いかけられ、考えさせられ

た時期でもありました。

 一方では学長に対して「おいお前はどうなんだ」と中国の文化大革命のよう

な秩序を無視した行為も行われておりました。

 そういう状況で自分はどうするかと考えた時、就職がターニングポイントだ

ったように思います。秋田から上京して東京で学んでいた高校時代の学友の

95%は秋田に帰ったようでした。

私はゼミの先生の勧めもあり藤沢で就職し、住み心地も良かったので、日本

のカルフォルニアと言われる湘南で定年まで過ごすことになります。

  1. 帰郷を思い立つ

 還暦近くになってくると藤沢での30年間の経験を故郷で活かしたいとの考え

が強くなってきました。湘南はご案内のとおり気候は温暖で、波も静かな海岸線

に面しており「狂爛吼え立つ男鹿半島よ」で育った人間にとっては、物足りない

と思うようになりました。

 男鹿に帰省する度に長く教職にあった母親が、あの学校が無くなった、この学

校も無くなったと嘆いておりました。

その言葉を聞くと小学校の担任の先生が、「秋田は水田と油田の二つの田があ

る恵まれた処であることを誇りに思え」と話してくれたことを思い出します。

私が小学生であった昭和30年代の秋田は、人口が135万人とピークを迎えた

頃で、国体を開催する等活気に満ちた時期でしたが、そんな秋田が何故このよう

になったのかと考えるようになり、定年を迎えた7年前に秋田に帰ってきまし

た。

 帰って直ぐに先ほど講演した蜘蛛の糸の佐藤理事長に会いに行きました。藤

沢に居る頃から秋田の自殺問題が気になっていたからです。豊かな秋田がどう

して自殺なのだとの思いから話を聞くに行ったのですが、理事長は、「焦らずに

ゆっくりやりましょう」と穏やかに話してくれました。

 その後、秋田人変身力会議に入会し研究会に参加するなかで、秋田の現状を

より詳しく知るようになり、地域を活性化するための活動に一層意欲的に取組

むようになりました。

  1. 地域活性化への想い

 還暦を迎え子供達も自立したので、宿願であった地方自治の確立による地方

の活性化に取組むために帰郷しましたが、若い方が地域の活性化に関心を持ち

始めている等、漸く地方の時代が来たと感じております。

 秋田県の人口が減少している要因としては、様々なことが考えられますが、県

民性も一つの要因ではないかと思います。

私は30年間の教員時代に積極的に家庭訪問を行いましたが、その際は両親の出身地を必ず聞くようにしました。

 その印象としては東日本と西日本では県民性がかなり違うとの印象を受けました。秋田県人はおとなしく引っ込み事案で、良く言えばおくゆかしくて、受け

身なのに対して、九州人は徹底的に攻める、直ぐ手を挙げて発言する等、何事にも積極的でした。

また、神奈川県の教員の出身地は地元が半分、他県が半分でしたが秋田県出身

者で訛っていたのは私だけでした。私以外はきれいな標準語で話す方々でした

が、よく言われる「いい振りこき」の面もあるのでしょうが、堅い殻に閉じこも

っているのではないかとの印象を受けました。

 九州出身の野見山前日銀秋田支店長は「秋田の人は私の話を他人事のように

聞いている感じがする。」とも話しておりました。

 また、十文字出身の泉谷閑二氏(医学者、思想家)は、「秋田は悪い意味で村

社会が残っているのではないか」と言っております。村社会では集団の中で集団

と違う価値観で生きていくことは、憚られるということでしょうか。

 私は秋田県人を批判している訳ではありません。県民性にはそれぞれ長所も

短所もあると思います。秋田県人の長所は粘り強さだと思います。

 秋田の人は「しょしがり」でスロースターターですが、一旦、こうと決めたこ

とは粘り強く最後までやり通す人が多いのではないかと思います。

 甲子園で秋田商業と北照高校(北海道)戦を応援した時に、大阪のおばちゃん

が近くに来て「秋田は元気ないでぇ、こんなんでは負けるでぇ」と大声で話して

いたことを思い出します。

 よく見たら選手もスタンドもガチガチになっており、相手に2~3点先行され

て8回に1点返し、9回に満塁になったものの負けてしまいました。スロースタ

ートが災いしたのかも知れません。

 西日本の府県と比較すると、スロースターターで瞬発力も劣るかもしれませ

んが、佐藤理事長の民間主導の秋田モデルのように、粘り強く努力すれば資源が

豊かで人情味のある秋田の再生は必ず出来ると確信しております。

 そんな考えで様々な地域を活性化するための活動を行っておりますが、活動

の輪を広げることで仲間も増えますので、楽しみながらやっております。

              (文責:秋田人変身力会議 事務局長 永井 健)

第56回変身力研究会/女性が活躍できる社会を創るための経営者の役割


 10月4日に「変身大賞受賞者と語る秋田の未来」をテーマに大町協働ビルで

シンポジウムを開催しました。本稿はプレゼンテーター3名のうち株式会社

太陽産業代表取締役藤井千雪氏の掲題をテーマにした講演の要旨です。

1.はじめに

 平成21年に第一回変身大賞を受賞した太陽産業代表取締役の藤井です。

私は嫁ぎ先が経営していた不動産賃貸業の弊社に入社し、子育てが一段落し

た平成12年に代表取締役に就任するとともに新規事業への進出を検討し、15

年にリユースストアを開店しました。

 現状の弊社事業は不動産賃貸、リユースストア・セカンドストリート大曲

店、秋田市の広小路に立地するリンパケアサロンの経営です。

社員19名のうち女性は13名、年齢構成も21歳から65歳までと多彩で、弊

社の経営はそのような多様な女性に支えられていると言っても過言ではありま

せん。

女性社員のほとんどが既婚者で、現在妊娠中の社員から、子育て真最中、親の

介護をしている社員まで、皆さん日々時間のやり繰りに頭を悩ましている状況

のようです。

40代の女性は、旦那様・子供2人・御両親の6人家族ですが、朝は旦那様と

子供たちのお弁当を作りながら別コンロでは朝食を作り、同時に洗濯機を回し

ながら掃除機を掛けて出社します。

夕方は会社から真っすぐスーパーで買い物をし、夕飯を作りながら子供たち

の宿題を見て、塾の送迎・食事・お風呂の世話、明日の仕度と寝るのはいつも深

夜とのことです。

休日もお父様が脳梗塞なので、お母様に代わって一日中介護をしながら6人

分の買い物をしなければならず、まさに寝ている時間も惜しんでの働き詰めの

毎日のようです。

それでも彼女たちは元気です!とっても元気なのです!!私は社員達を見て

いると、女性は多能工だと思います。多能工に知らず知らずのうちに成ってしま

うのかなと感じ入っております。

2.男女共生社会の実現に向けて

以前は、「女性の活躍」と聞くと女性だけの問題で、男性は関係ないと考える

風潮でしたが、「女性の活躍」は会社の経営にとっても非常に重要なことです。

女性消費者の心をどう掴むのかとか、女性が求めているモノやコトを考えな

ければ、ビジネスが成り立たない時代になりました。

 高度成長期には、どの人も画一的な働きをするのが経営の強みであったと言

われていましたが、現在、少子高齢化によって先ほどの弊社の女性社員の家庭で

の役割を、男性もせざるを得ない状況になっております。

それによって、仕事に全力投球できる男性社員の数が減り、我々中小企業には

会社の未来を担う人材の確保が本当に難しい時代になっております。

女性社員を雇うと出産・育児・介護等女性特有の役割が重荷と考える、今まで

の採用方針は通用しなくなり、女性管理職はもちろんのこと、女性の社会進出の

場が広がって行く方向にあることは間違いありません。

私は、秋田県中小企業家同友会という中小企業の経営者団体に所属しており

ますが、今年の5月に「男女共生部会きらめき」を立ち上げて、部会長をさせて

頂いております。

 この会を設立した目的は以下の通りです。

私たち中小企業を取り巻く環境は年々厳しさを増し、特に地方都市では18歳

人口の流出や少子化による労働力不足は深刻な問題であり、就業の形態やニー

ズも多様化していることで、企業側はこれまで以上に柔軟な対応が求められて

おります。

更に女性の社会的な進出に伴う経済的な自立と、男性の生活者としての自立

が求められております。このような状況の中で、女性と男性が安心して働き続け

られるためには、互いに自立した個人の生き方を尊重し、支え合うパートナーシ

ップの確立が不可欠ではないかと考えるに至りました。

この会での学びを通して「人」として幸せに暮らして行ける社会づくりを目指

し、女性と男性が互いに認め合い、高め合い、尊重し合える経営環境を整えて、

企業の更なる成長と発展を願い活動を進めて行こうと考えております。

3.真の働き方改革に向けて

先月の20日に「秋田県中小企業家同友会男女共生部会きらめき」が主催する

「秋田経営研究フォーラム2017」が開催されましたが、100人の参加者が集い

「真の働き方改革」について活発な討論を交わしました。

 講師をお願いした広島県中小企業家同友会の会員である株式会社オーザック

の専務取締役岡崎瑞穂様は、「同友会で学び続け実践する中で、順風満帆とは決

して言えない状況を幾つも乗り越えて来られたのは、社員が働きやすい環境を

模索し構築する中で『人を生かす経営』を実践したからであり、そのことが会社

の継続発展に繋がり、社員が満足できない会社には成長はない」と断言されまし

た。

 更にこの度、政府が提言した「働き方改革」について岡崎講師は、「労働力人

口の減少に伴い雇用形態も非常に多様化しているなかで、経営者が今考え行動

しなければならないのは、究極の顧客である社員の働きやすい環境を創ること

であり、多様な社員が多様な働き方を実現する為には見せかけの制度・施策では

なく、経営者と社員が本気で『経営改革』に取組む姿勢が必要である」と改めて

述べられました。

 最後に岡崎講師は、「社員即ち我が子が働きやすく幸せだと思える会社」を目

指し、更に進化してゆきたいと結ばれました。

ご講演から受けたのは、何とも言い難い人の温もりでした。社員が成長しない

のも、潜在能力が上がらないのも、会社の利益が上がらないのも全て経営者の責

任であるとの認識を強くしました。

また、真の「働き方改革」の根底にあるものは、一人の人間として社員即ち我

が子を想い労わる愛情であるとの、大きな気づきを頂いたフォーラムでした。

4.女性の働き方改革に向けた経営者の役割

女性が、新しい働き方に対応する上で重要なのは、何より女性の一人一人の

「考え方の変革」も必要とされています。

日本の家庭での女の子の育て方として、「皆と仲良くするのよ」「親のお手伝い

をして言うことを聞くのよ」「お勉強よりも気立ての良い、人に気遣い出来る良

い子になるのよ」と、言われ育てられて来ているのです。

「女性がリーダーになるのは風当たりが強い」「男性のアシスタント役の方が

楽だ」「言われた事をこなしていれば責任を取らなくて良い」等、社内でも結婚

までの腰掛と公然と求められていた時代もありました。でも今は、言われたこと

をやるだけなら人間よりAIやロボットの方が勝っています。

経営者として成すべきことは、社員一人一人の能力や人間力の多様性を組み

合わせ、新しい価値を生み出すことであり、様々な価値観・生活体験を持つ人達

を生かせるダイバーシティ経営を行うことです。

女性も男性に負けずにがむしゃらに働くのではなく、女性として社会を生き

てゆく中で、自分だからこそできる仕事を見出し積極的な姿勢を示してゆく事

が自分自身の改革にも繋がってゆくのではないでしょうか。

私たち経営者も大変だからと言って下を向いているのではなく、社員の働き

方を見つめ直し、どんな社員でも働きやすい環境づくりに取組んでゆく気概が

必要なのだと感じています。

そして元気な社員がお客様に元気を手渡し、地域を、更には日本を元気にして

行く、そんな社会づくりが私たち中小企業の経営者の使命ではないかと考えて

おります。

(文責:秋田人変身力会議 事務局長 永井健)

第56回変身力研究会/県民の生きる支えとなるための地域社会の役割


 10月4日に「変身大賞受賞者と語る秋田の未来」をテーマに大町協働ビルで

シンポジウムを開催しました。本稿はプレゼンテーター3名のうちNPO法人蜘蛛の糸理事長佐藤久男氏の表題をテーマとした講演の要旨です。

1.はじめに

 第一回変身大賞を受賞したNPO法人蜘蛛の糸理事長の佐藤です。当時は変身大賞の知名度も低く、妻に変身大賞について説明するのに苦労したことを覚えております。

変身とは何かということを考えてみますと、株式会社むつみワールドの会長さんから聞いた蛻変(ぜいへん)という言葉を思い出します。セミの幼虫が蝉になるように、ヤゴがトンボになるように、青虫が蝶々になるように原型を留めないで変化することを蛻変ということを会長から教わりました。

企業も同じように蛻変しなければ生き残れないということです。蛻とはモヌケノカラ即ち空ということで、空にすることで新しい物が入ってくるので、変化が出来るということで、私の好きな言葉です。

 物事を成し遂げるために何が必要かと考えた時に、姜尚中東大名誉教授の講演で聞いた「ヨソ者、ワカ者、バカ者」がファクターであり、この三つの価値観を持つ者が時代を切り開くとおっしゃったことが記憶に残っております。

ヨソ者というのは価値観がヨソ者ということで、現在進行形の価値観に対して別の角度から見て違う価値観をもつ者がヨソ者であり、単に外部の者という物理的な意味ではありません。

 ワカ者というのは年齢ではなく、精神構造が常に若い人ということです。バカ者というのは文字通りのバカ者、鈍重だということです。自分で決めたことは何が何でもやるというのがバカ者ということです。

しかし、ただのバカ者では困る訳で、ヨソ者、ワカ者にも共通することですが、やっていることが社会性を持たなければならないということです。

 時々自分がやっていることが秋田県のために役立っているか、つまり社会性があるかを自己検証することが大事だと思います。特にNPO法人は必要だと思います。

2.自殺予防活動

 私が自殺予防の活動をして16年目になりますが、活動当初は、自殺は個人の問題なのでそういう活動しても減らないよと言われました。しかしその時は

やってみないと解らないじゃないかと考えて活動していました。秋田には全国でワーストが43あると言われています。その中でも人口減少率とか自殺率は秋田県の存亡に関わる大きな課題です。

自殺率全国ワーストはここ30年間で数年を除くと継続しております。このような秋田県が抱える課題は、県庁という行政機関が抱えている訳ではなく、秋田県を形成している私達県民一人一人が抱えているのです。ですから県民一人一人が元気にならなければ秋田県は元気になりません。自殺とかガンで悲しい思いをしている県民がいれば、県民の1人としてその人達を元気にしなければならないとの思いから、自殺予防活動を始めた訳です。

自殺予防団体の蜘蛛の糸を平成14年に設立しましたが、設立して数年間は何をやれば良いのか解らず手探り状態でしたが、17年に自殺は社会問題だと気付きました。

当時は全国で3万人自殺しておりましたが、GDP3位の先進国である日本の自殺率が常に上位にランクされているということは許されることではなく、明らかに社会問題だと考えました。

このため同年「自殺対策基本法」の制定を求めて参議院経済産業委員会に出席した後に、当時の尾辻厚生労働大臣に本橋秋大教授等と一緒に陳情し、その必要性を訴えるとともに、全国の仲間と10万人署名運動を開始しました。

本県でも2千6百人の署名を集めましたが、18年6月に全会派満場一致で法律は可決されました。私としてはこの法律の制定で自殺予防活動の精神的な支柱を得たと思っております。

3.相談活動

基本法が出来てから11年、自殺予防予の活動をして16年になりますが、その間5千人くらいの方から相談を受けております。北は北海道から南は沖縄まで全国の方から相談を受けており、昨日は東京で14年間も引き籠っていたという兵庫県の方から相談を受けました。

私は平凡であるということが好きです。それは相談者は人生に挫折している方がほとんどですので、私はなるべく相談者に近いように平凡でなければならないと思っております。

私は県庁職員、会社の経営者をしておりましたので、上から目線、結論を早く出すという習性を身に付けておりましたが、人の話をじっくり聞くという習性に変えるのに10年掛かりました。

売上を伸ばすという右肩上がりの考え方から、人生の底辺まで転がり落ちた人を支えるという考え方に変えるのに10年掛かりました。そのためには健康でなけれはならないと山登りをやって鍛えております。

遭難者を助けるためには救助者は丈夫で元気でなければならないと思っており、このため相談のある日の前日はお酒も控えるようにしております。

日本の自殺者はこの10年で1万人減りました。3分の1減った訳です。自殺対策基本法が出来て、年間30億円の予算で自殺対策を行った効果だと思います。

本県の自殺者のピークは15年の519名で、昨年は240名でしたので54%減少しました。本県の自殺対策は民間主導型・民学官連携のいわゆる秋田モデルと言われております。

本県では自殺予防団体が60団体ありその構成メンバーは1,500名です。近県の民間団体数は青森17団体、岩手10団体、山形5団体となっており、長野県のように団体がない県も数県あります。

これからの自殺予防運動についてお話しします。本県の全国に誇れるものとしては、小中学生の学力がトップクラスであること、枝豆の出荷量が日本一であること、そして民間主導の自殺予防運動が日本一であること等が挙げられます。

ここ数年、自殺予防で韓国との交流を継続しており、イタリアからも相談者が秋田に来ました。韓国の自殺者は4千8百人から1万3千人に増加する等、韓国社会の混迷を反映して大きな課題となっており、これを防止するために秋田モデルへの期待も大きいので今後とも協力して行きたいと考えております。

年齢も74歳になりましたが、県内のみならず韓国への協力等課題も山積しておりますので、もう少し頑張りたいと考えておりますので、ご支援よろしくお願い申し上げます。

        (文責:秋田人変身力会議 事務局長 永井 健)

第54回変身力研究会/IT業界の快男児が秋田に新風を吹き込む

 6月6日に株式会社エスツー代表取締役須藤晃平氏を講師にお迎えして、あ

きた文化産業施設松下で第54回変身力研究会を開催しました。以下はその講

演要旨です。


  1. はじめに

 荒谷会長からもお話しがありましたが、当社がやっていることを説明しても

ほとんどの方は理解出来ないと思いますので、私達の仕事が商売になっている

ことを知ってもらえれば、IT業界にも関心を持って頂けるのではないかと思

いますので、本日はそういうスタンスでお話しさせて頂きます。

 当社は2006年に仙台市で創業、社員数は常時採用しているので変動があり

ますが現状50名、16年に本社を仙台から秋田市に移転しましたが、営業の拠

点は東京渋谷のOFFICEで、一昨年インドネシアのジャカルタにブランチを開

設し海外展開も図っております。

  1. 当社の事業

 当社はハッカー集団ですというと、技術を悪用してシステムやネットワーク

に侵入し、データを改ざんしたり破壊したりする犯罪集団を連想するかもしれ

ませんが、そういう違法行為をする人達はクラッカーと呼ばれております。

 私達はあくまでもシステムの構造を解析するために、ネットワークやコンピ

ューターに侵入しているのであって、システムやネットワークに侵入して悪い

ことをするクラッカーから守ることが私達の仕事です。

 例えば最近バスケットBJリーグのチケットのネット販売窓口からチームの

ホームページに侵入し、チケット購入者の個人情報を盗み取ろうとした事案が

発生しましたが、これを解析したところホームページ作成ソフトが、かなり古

いものであることが解ったので、これの改善を指導しました。

また地元の警察から、同署で使用しているシステムやネットワークに侵入さ

れて情報を盗取されるような弱点がないかを検査して欲しと依頼され、解析し

て報告しました。

 このような作業はペネトレーションテストと呼ばれており、作業を受託出来

る企業は当社を含め10社程度ですので半年先までの受注を抱えております。

 情報漏洩で最近話題になったベネッセさんでは、その損害額が360億円と云

われる等多額ですので、企業側も神経質になっており受注も増加基調です。

  1. 創業までの足取り

 私は1980年に静岡県磐田市で生まれましたが父親の転職に伴い、5歳の時に

父親の故郷である秋田市に転居し、明徳小、東中、南高校を経て東北薬科大学

に進学しましたが、薬剤師という職業が性に合わないことが解ったので1年で

中退しました。

 その後の進路を考えた時、英語を身に付けることが必要ではないかと考え、

一番費用が安そうなオーストラリアに行きましたが、直ぐにオーストラリア人

の友達が出来たので生きた英語を学んでいるうちに、19歳で労働ビザを取得し

メルボルンで漫画喫茶を開店しました。もともと漫画が好きで家に在庫してい

た少年ジャンプ等数百冊に加え、友達等から寄付してもらった8千冊で営業を

開始しました。

 その店を日本経済新聞が取材に来て同社が発行する雑誌に掲載され、それを

読んだ漫画喫茶最大手の社長からうちに来ないかとヘッドハンテングされまし

た。既に年収1千万以上でしたが、東京で働くのもいいかと考えて同社に就職

しました。

 同社は船井総研グループの1社で漫画喫茶の海外展開でも命じられるかと思

っていたら、ITの勉強と2年以内で中小企業診断士の資格を取りなさいと命

じられました。昼はITを学びながら夜間の専門学校に通って診断士の資格を

取りましたので、子会社の社長を任せられる等相応に評価されていましたが、

IT業界人の桁外れの浪費に疑問を感じて同社を退職し、2006年5月、25歳

の時に土地勘のある仙台で当社を設立しました。

  1.  起業から企業に

東京のIT人類への反骨から仙台で会社を設立することにしたので、お金が

無く事務所は市場の2階を月5万円で借り、会社の登記費用もトラパンツの長

谷川社長から借りる始末でした。このためしっかりとした事業計画も無く、お

金になることは何でもやりました。例えばパソコンで名刺を作成したり、市場

前の路上で木炭を売ったりしていましたが、幸運にも東北最大のレンタルサー

バー会社が倒産し、知り合いであったその社長から社員と取引先及びサーバー

を引き受けてくれないかとの要請があり、引き受けることにしました。

 漸く会社らしくなったので、中小企業診断士の知識を活かして家賃や人件費

が東京より安い仙台をベースに、東京の主に芸能、ゲーム業界を取引先とする

サーバー管理会社としての事業計画を立てました。

 サーバー業界のライバルはNTT、ソフトバンク、KDDI等の超大手の資

本が入った企業ですので、差別化を図るために世界の最先端の技術を収集して

お取引様に提供するとともに営業開拓のツールにしました。

 会社設立5年後の11年に大震災に遭遇しますが、支障なく業務運営が出来

たことからお取引様の信頼度が増したので、東京圏への営業を加速するために

12年渋谷に東京OFFICEを開設しました。

 当社のお客様は芸能業界が比較的多いのですが、例えばAKB48のじゃん

けん大会や総選挙では、ファンのサイバー攻撃が凄まじく、これを防御するた

めに東北在住の知名度のあるハッカーを採用して対応したので、芸能業界のお

客様は増えています。

 大震災はなんとか凌ぎましたが、余震も継続していたので日本海側にも拠点

を持ちたいと考えていた時に、北都銀行さんから同社のデータセンターが空い

たとの連絡があったので14年に秋田OFFICEを開設しました。

 当社が採用する人材は高校を中退してパソコンを友達に引き籠っていた子達

が多いので、私も彼等と向き合う時には短パン、Tシャツですから、それが制

服になってしまいました。そのままの服装で銀行にも出向くものですから、T

POを考えるようにと忠告を頂きました。

 三井物産が当社のクラウド技術を評価し、インドネシアのジャカルタにデー

タセンターを作ろうと誘って頂きましたので、15年に進出しましたが、賃借物

件が広過ぎたので半分を漫画喫茶とし、日系企業のデータオフィスとしても使

用しています。

  1. 今後の事業展開

 ハッカーの技術とかは今の学校教育では教えてくれないので、教育して欲し

いとの要望がありますので、相応の資格が取得出来る次世代のIT技術者を養

成するアカデミーを取り敢えず秋田に造り、順次全国展開したいと考えており

ます。

 当社では先にお話ししましたが引き籠りの子達を1年で一人前にする社内の

教育システムを確立しておりますが、それが評価されて大手情報企業からプロ

グラマーにセリュリティやクラウドの研修を依頼されております。

 また、ベトナム・ダナンのドンア大学と覚書を締結し、IT教育のカリキュ

ラムとテキスト造りを依頼されましたが、IT業界は日進月歩なのでテキスト

は毎年改定する予定です。

 日本ではIT人材が大幅に不足しており、これを補うために5千人強のベト

ナム人が日本から進出したIT企業で働いておりますが、この傾向は続くと予

想されるので、ドンア大学からは日本企業に就職出来る教育カリキュラムを作

って欲しいと要請されており、卒業生の何人かは秋田で働いてもらいたいと考

えております。

 兎に角IT人材が不足しているので、ベトナム等海外企業への外注(オフシ

ョア)が急増しているため、海外のIT人材の人件費も高騰しています。月給

がインドネシアで35万、ベトナムで40万と多分秋田よりは高いのではないで

しょうか。

 このため当社では秋田にラボを作って東京の仕事を引き受けることにしまし

た(ニアショア)。当社は最先端の技術を社員に教育し、サーバーを利用して

もらっている6万の顧客に声を掛ければ、相応の受注は可能だと判断して社員

を100名程度募集しています。

 最近ドイツ人の若者が入社し秋田で働くことになりました。横浜に住んでい

ましたが都会が嫌になったと秋田に転居しました。今後スエーデン人、台湾人

も来秋の予定ですし、ベトナム・ドンア大学の卒業生も期待出来ますので、当

社の秋田本社はグローバルな人材で運営されていくことになると思います。

 また、ベトナム等の海外企業に外注していた業務を当社に移管するとか、ゴ

ルフの予約サイトを任される等受注も順調に増えておりますので、当社でも人

材の確保が最大の課題となっております。

  1. 秋田でやりたい事

 主催者から秋田を活性化するためのアイディアを話して欲しいと要請されま

したが、今の自分は商売に徹して稼ぐことしか考えておりません。若手経営者

の方が相談に来ることもありますが、私は兎に角稼ぎなさいと云っております

し、クラウドファンディングも良いですが、先ずはしっかり稼ぐ力を付けなさ

いと話しております。

稼いで残ったお金をどう使うかも考えていないので、余ったら千秋花火やバ

スケのハピネス等に協賛金として寄付したいと考えております。

 秋田に進出したのは震災の影響もありますが、人件費が安いのでお金になる

と考えたからです。兎に角、人がやるより先にやればチャンスがあるというこ

とです。当社の社員は例えばドラゴンクエストを一夜でクリアしてホームペー

ジにアップし注目されましたし、アイフォンの使い方も説明書を見ないで1日

でマスターする等優秀な人材が揃っております。

 そのような人材を育て活用することで、秋田の中堅企業として今後とも商売

の世界で頑張って行きたいと考えております。

 私は当社の役員6名中、年齢では下から2番目で、社員の中でも私より年上

の方が5名おりますが、幹部や社員が辞めないのは奥羽住宅産業の中村社長の

影響かも知れません。

 18歳の時に中村社長のところでアルバイトをしましたが、工事現場の50代

の親方が「社長は若いがしっかりしているし格好良いだろう」と自慢しており

ました。私も中村社長に倣って年上の社員を使いこなし、一緒に楽しみながら

社員を教育して格好良く稼いで行きたいと考えておりますので、今後ともよろ

しくお願い申し上げます。

(文責:秋田人変身力会議 事務局長 永井 健)

第53回変身力研究会/地域創生-五城目町での実践事例~人が咲く秋田へ~


 3月4日に五城目町地域おこし協力隊の石田万梨奈氏を講師にお迎えして、

第53回変身力研究会を秋田市役所内のセンタースで開催しました。以下はその

講演要旨です。

1.はじめに

 この3月末で私達3名の地域おこし協力隊が五城目町に赴任して3年の任期

を終えることになりますが、この時期に私達の活動を振り返る機会を与えて頂

きまして有難うございます。この講演では3年間の活動とその中で感じたこと

をお話し致しますが、任期終了後も五城目町で引き続き暮らして、仕事をさせて

頂きたいと思っておりますし、私達の活動が秋田に貢献する領域を広げさせて頂ければと願っておりますので、講演のテーマを「人が咲く秋田へ」としました。

 最初によく質問されますので、なぜ秋田に来たのかをお話しさせて頂きます。

動機は単純ですが、秋田に来る直前に農山村の町づくりにワイワイガヤガヤと

関わったことが、楽しかったからです。

私は都内の綺麗なPTAのママ達に囲まれた女子高育ちですが、なんか型に

はめられた、こういう女性に育ちなさいよというような感じで学校生活を

送っていたように思います。

そういう風に生きていかなければならないと思っていましたが、大学時代に

超楽しい経験をしました。社会学のゼミで有機農業の先進地である山形県高畠

町等の農山村で、5日間ぐらい茅葺の古民家等に泊まって調査や時には農作業等

を行い、最終日に皆さんと懇親会を行うのですが、それが最高レベルに楽しい思

い出として残っております。

 身体を動かし、美味しいものを食べて、演じていない素の姿の農山村の方々と

の交流は、本当に楽しい経験でした。

 もう一つは大学時代に水俣病について勉強して得たものです。水俣の漁師さ

んからは命に対する感受性を教えて頂き、尊敬の念が生まれました。水俣を通じ

て幸せとは何だろう、幸せを得るために犠牲になっているものがあるのでは

ないかと考えるようになりました。

 社会に課題が発生したら、皆で議論してその課題を修正していくのが民主主

義のシステムなのに、それがうまく機能しない社会になりつつあるのでないか

と思い、民主主義のシステムがうまく機能するブラットホームを整えることに

興味を持ちました。それがソーシャルイノベーションだとは認識していな

かったのですが、皆でワイワイ会話する中で創っていくことが出来ないかと

いうことを考えていました。

 20年前にユーチューブとかなかった頃ですが、インターネットテレビ局を開

設するところがあったので、そこにビデオジャーナリズムを持ち込めば、言論空

間が豊かになると思って就職しました。その後大学院でメディアリテラシーを

学び、社会問題を扱うミュージアムで企画と広報を担当していましたが、30代

半ばになった頃に、自分が一番ワクワクすることをやろうと考えていたら、湧き

上がってきたのがビジュアル的には農山村でした。

もう一つの理由は、3.11以降幸せとは何か、今までのように生産性優位で効

率を上げていけば幸せに辿りつけるという考えに疑問を持ったことです。

頑張っている人達が築いた蓄積の上に、幸せな社会を創り上げることが出来

るのは、農山村ではないかと思ったからです。右肩上がりの時代に取り残された

ものが残っているのは農山村で、その中に新しい社会を創るヒントがあるので

はないか考えました。

広井良典千葉大学教授がその著書「人口減少社会という希望」で述べている

ことですが、「人口減少社会は幸せへの入口」ではないかということを、協力隊

がプレゼンする時は必ずお話ししております。

 五城目町の人口は2040年には5千人になると予想されておりますが、もう少

しスケールを長くして考えると、明治維新以降の急激な人口増加は異常だった

のではないかと気づく筈です。

 今、秋田県・五城目町は少子高齢化の最先端を行っていますが、ここでこの

課題に対する社会モデルを創れば、全世界が迎えると予想される少子高齢化に

対応する先進モデルとなると思います。

 協力隊としては、こういう場所だからこそ一層求められているのではないか

と「世界一こどもが育つ町」を目指して活動してきました。

2.五城目町地域おこし協力隊の活動

 私達の活動は町での新しい仕事づくりと移住・定住支援です。仕事づくりは

移住者や以前からこの町に住んでいる方々への起業支援、及び地域資源を活用

して事業を行っている方々への、例えば農業の六次産業化等への支援です。

移住者数は私達と縁があって移住して来た方だけで子供達も含めて27名

です。私達の活動拠点は廃校になった小学校を活用した五城目町地域活性化

センター・通称馬場目ベースで、2013年10月に開設され年間5千人が来場

しております。

 五城目町は企業誘致を積極的に行ってきましたが成果が挙がらなかったので、

起業意欲の旺盛な若者たちの聖地にすることにし、馬場目ベースの一室を

1ヶ月2万円で貸出しています。

 私達が来た当初は3社が入居していましたが、現在は13社に増えており略満

室状態です。起業家を増やすための方策としては、ベンチャー支援企業でここに

事務所を構えるハバタク㈱と県が連携して募集しているドチャベン(土着ベン

チャー)ですが、その該当企業は2社入室しております。この2社は移住者が

起業した企業ですが、他の入居企業もイベントで集めたというよりは移住者

同士のご縁で起業した方が大半ですので、私達も一社、一社丁寧に支援しており

ます。

 町内の方も移住者して来た起業家から刺激を受けているようで、消極的で

あった町内の方々も前向きになってきています。例えば町の名物であるキイチ

ゴの栽培農家が、キイチゴを原料に黒ビールの醸造に取り組み、お子様がいる

女性美容師が馬場目ベースを拠点に移動美容室を開設し、ドローンの使い方を

教習する教室を馬場目ベースに開設したこと等が挙げられる。

 また、茅葺の古民家を改修して村と見立て、村を訪れた方を里帰り、年会費を

年貢、交流会を寄合と命名する等の物語性を持った施設にし、町への訪問者を

増やす仕組みも考えました。クラウドファンディングで年貢を集めたことも

あり、今では2千名近い村民が集う村に成長しています。

 地元密着型の企業支援としては、木材に関連した刃物の生産者や加工業者が

後継者に悩んでいたので支援組織を紹介し、農事法人には販路開拓とかHP

作りを支援させて頂きました。

 女性の起業家支援としては、オトナの学校を開設しましたがその中から移動

美容室を開設した方や、キイチゴジャムを造り始めた方が輩出しました。

 農業生産法人アグリ代表の畑澤與左右衛門さんは、自分の子供に「農業に未来

はないからここから出て行きなさい」と言ったことを悔いているとお話しして

いました。

この風景や集落を守りたいという強い気持ちはあるものの、自分1人では

どうにもならないと気落ちしていましたが、農業生産法人を大きくして地域の

青年を雇用し、将来に不安のない地域を創りたいとの想いをお聞きしたので、支

援させて頂いていたところ2名の雇用増が実現しました。

 また、子供達に記憶に残る行事を経験させたいということで、雪遊びや田圃の

手伝い等のイベントを畑澤さんの協力を得て開催しました。

3.五城目朝市わくわく盛り上げ隊

 五城目朝市は520年の伝統があり、豚や馬等の生き物や食料、日用品等多様

な物品が売買され、子供達にはここに来れば博士になれると言われるくらい、

面白い場所だったようです。

 その朝市も私が来た当初は、山菜祭りや鍋祭り等行事が開催される時以外は

寂しいものでした。昔の朝市風景を見ると手品師や易者、楽団もおり、嫁捜しの

ための情報交換の場としても賑わっていたようです。

 女性にとっても子育てしながら商売が出来る等、今でいう託児所付きの事業

所という感じだったのではないでしょうか。大きくは稼げなかったとは思いま

すが、女性にとっては小商いの出来る最高の場所であり、出店費用も110円/

日と超格安なので朝市復活の可能性を感じました。

 仲良くなったママ達からは「昔の朝市は良かった、子供達で賑わっていたので

復活したい」という声を聞きましたので、地元の人達を巻き込んで活性化を図り

たいと思うようになりました。

 ゆるい組織ですが「朝市わくわく盛り上げ隊」を結成し活性化の仕掛けを考え、

行事予定をFBに投稿してPRに務めました。出店者はPRの仕方を知らない

感じだったので、30~40代のママ達を対象に費用ゼロのFBを活用してPRを

始めました。

 FBでは朝市のコンセプトは昔ながらの市ですが、チャレンジのチャンスが

有りますと出店を呼びかけました。

 朝市は末尾に2,5,7、0の付く日に開催されますが、平日は勤務もあり人

出はあまり期待出来ませんが、日曜日は期待出来ると考え日曜日に開催される

朝市を朝市プラス(朝ぷら)と名付けて、色々な仕掛けを考えて集客に努めたと

ころ、客数は平日の約10倍の3,300人、出店は約3倍の70店舗になりました。

 今までは子供の姿は余り見かけなかったのですが、朝市プラスは子供で溢れ

ており、親も子供達を朝市に放牧している感じで、町民も情報交換する場として

活用していました。もちろん既存店の売上も上がっているので、顔もほころんで

おりました。

 新規出店者としてはキイチゴジャムの店、手作りのアクセサリー店、木工所や

鉄工所が薪ストーブを展示販売し、近隣の秋田市や三種町からもお菓子屋さん

が出店していましたが、売れ行きは良好と喜んでおりました。

 子供向けの工作を一回50円で作らせている店は、子供達に超人気で朝一番で

来るお子さんもおりました。ドチャベンで教育事業を手がけるGエクスペリエ

ンスが、キッズクリエイティブマーケットを開店するために、前日から子供達と

プログラムを考える等子供達が主体的に取組む店舗もあります。

 協力隊の柳澤が結婚パレードを行い、秋田大学医学部を卒業し東京で勤務し

ている若手医師が、調査を目的に健康相談の店舗を開設したところ、山菜を販売

しているおばちゃん達が血圧を測るためにやって来て、医師たちと楽しそうに

会話しておりました。

 このように朝市には多様な方々が出店しておりますので、出店を機会にビジ

ネスとして磨きをかけると共に、出店者同士の連携等新たなビジネスチャンス

に繋がっていくことを期待しております。

4.町の魅力を高めるために

 朝市プラスを計画する段階で、町にはどういうプレーヤーがいるかと考えた

時に、それまでの活動の中で繋がってきた皆様の顔が浮かびました。

 朝市プラスは仕事づくりとか、移住・定住の範疇には収まらないことかも知れ

ませんが、次世代に繫がるような皆で取り組めるイベントも必要です。

また、将来にわたってこの町に住みたいと思う人を増やしていくためには、

町そのものの価値を高めて行かなければならないと思います。

 この町の子供達が町外に出ていくことは止めませんが、この町での楽しい記

憶が残っていれば、いつかはこの町に帰って来てくれるのではないかと思い

ますので、そのためにも町の魅力を高めることは大切なことだと思います。

 楽しい記憶創りのために、先程話した畑澤さんの協力を得ながら、子供達が

地域資源と共に遊べるツアーを計画し、元気なママさん達の協力を得る等地域の方々を巻き込んで実施しました。

 若い人達に来て欲しいのですが、そのことで町内の人達が疎外感を持たない

ように、誰でも参加できるイベントも計画しました。ただの飲み会のように

なってしまいましたが200人も参加して頂いたので、私達の活動を理解して

もらったのではないかと思っております。

 このようなイベントを開催することで町にどんな人が住んで居るのかという

ことも見えてきました。朝市が好きな人とか、他のことが好きな人とか、協力隊

では知っているAさんとBさんが知り合いで無かったので紹介したところ、

仕事の提携にまで進みました。

 私達は「世界一こどもが育つ町」を目標に活動して来ましたが、子供のみなら

ず大人も自分の能力や個性を存分に発揮できる町にしたいのです。そういう人

が町に沢山いるならば、魅力的な町になっていると思います。

5.魅力的な教育環境にするために

 秋田県は小中学生の学力や体力は日本一なので、それをさらに伸ばしていく

ことは可能だと思いますし、五城目町ではそれに加えて地産地消の食育で文科

省から表彰されております。

 町には以前からワラシベ塾というのがあって、地域の方々が放課後や週末に

子供達に遊び方を教えていましたが、これに加えてハバタクの主催で「五城目町

で世界一周」という授業を小学校で行っています。

国際教養大学の留学生が毎週、先生になって自国のことをプレゼンしますが、

半年間で30ヵ国の学生がプレゼンすることで世界一周が完了します。

 その後受講した小学生が国際教養大学で「五城目ってどんな町」をテーマに

学生達にプレゼンしています。

 五城目高校では二つのことに取組みました。一つは東大大学院と取組んだ

五城目ソーシャルラボです。2年間地域のことを研究するプロジェクトで、お祭

や昔のエネルギーはどういう状況だったのかをリサーチして発表しました。

地域のことを学ぶことで、高校生たちが町の歴史や町民と関わりを持ちたい

との意識が芽生えたようでした。

 二つ目は私も関わったことですが、明治大学と一緒にキャリアの創り方や地

方創生について学びましたが、一方で地域の担い手になる若者が都会に流失し

ている状況があります。当然ながら世界の色んな所に行って刺激を受けたいと

いう気持ちは解りますが、もう一方で地域社会との接点をデザインするという

ことも大切なことです。

高校生にこれからの秋田はどうなると思うと聞くと、何の感情もなく「消滅し

てしまう」と答えます。この答はその子のせいではないのです。多分、様々な

メディアで消滅と言っているので、そう言っているのだと思います。

 そういう状況の中で働いている大人に、秋田の可能性を語ってもらうことで、

秋田での暮らしが出来るキャリアを創っていけるのではないかと考えて、そう

いう機会を提供できるプログラムをつくりました。

私達よりも若い明治大学の学生に関わってもらうことで、高校生達はすごく

ワクワクしていました。最初に演劇のワークショップをした時には、自己評価が

少し低い生徒も身体を使うのですごく積極的で、体育館中笑いが絶えませんで

した。

その後に本題である地域で多様な働き方をしている21人にインタビューしま

した。インタビューの相手については事前に教えており、質問も準備して記者に

なったつもりでインタビューしてもらい、それを記事に起こして「ネコバリライ

フ」という冊子にしました。

高校生には想像以上にインパクトを感じたみたいで「この町は寂しくて

つまらないと思っていたが、熱い想いのある大人たちと会ってそういう町で

なかった」とか、「就職で秋田を出ることになったが、秋田を出れば秋田の良さ

が分かると言われたので、一度秋田を出るのが楽しみになった」とか、「もう秋

田に帰ってこないと思っていたけれども、秋田で暮らすのも選択肢の一つに

なった」とか、ポジティブな感想が書かれていました。

 また「アグレッシブな人達にインタビューし紆余曲折のあった半生を教えて

頂いたことで、今はつまらないけれども自分次第でワクワクした人生を送る道

が開けると思ったので、諦めないでやってみよう」と、うれしい感想を頂いた

ので、私達のプログラムがこれから秋田県に広まらないかと勝手に思っており

ます。

 このプログラムを「ネコバリキャリア」と名付けたのは、五城目町の奥にネコ

バリ岩があって、その上に深く根を張った木があるのですが、その姿が深く根を

張りながら空に伸びてゆく、それを表現するものとして凄く良いと思ったので、

地域に根を張りながら自分のキャリアデザインを描いていく学生達になって

欲しいということで名付けました。

6.おわりに

最後に3年間の活動で思ったのは、人がチャレンジし易いネコバリキャリア

の人生を選択できる環境であって、ああ楽しいと感じる人が町に増えていく

ことが、地域創りではないかと思いました。

 地域創生ではよく「有るもの捜し」と言われますが、地域に有るものをどう磨

いていくかが大事ですし、光が当たっていないものをどう創造して楽しめるか

だと思います。

 例えば朝市にしても、このまま無くなってしまうと予想していましたが、やり

ようによっては人が集まり、チャレンジ出来る場所になりましたし、馬場目ベー

スは廃校になった小学校のシェアオフィスへの生まれ変わりです。

 全てを生まれ変わらせるということは無理だと思いますが、自分の中にある

ものを探してそれを開花させていくということが、凄く大事だということを知

りました。

 町内のお母さん達に協力隊が来たことで、話せる相手が出来たと言って頂き

ましたし、今までは町のことを考えていても、話せる場所がなかったと話して

いました。

話が始まるとそこから行動が生まれて来る。フラットと行って話せる場所が

あるとチャレンジし易くなり、朝市プラスみたいなものがあれば、もっとチャレ

ンジし易くなるとか、いろんなやり方があると思いました。

 今後も秋田でそういうお手伝い出来ればと良いなと思っています。仕事と

しては秋田の資源×女性視点を組み合わせることで、新しい場所とか、新しい

ビジネスの仕組みを創り出すようなことをやりたいと考えております。

 (文責:秋田人変身力会議事務局長 永井 健)