11月18日に東北文化学園大学教授三木賢治氏を講師にお迎えして、第51回変身力研究会を協働大町ビルで開催しました。
以下はその講演要旨です。
- はじめに
講演のテーマはご案内のとおりですが「秋田は変わったか?」と問われれば、
「変わっていない」との答えを期待しての、荒谷会長からの講演依頼かと思い
ますが、その答えをこれからお話し致します。
私は昭和48年に大学を出て毎日新聞社に入社し秋田支局に赴任、53年まで足
掛け5年間勤務しました。この5年間の秋田での取材体験をもとに、秋田の県
民性を考察してまとめたものが「無重力の風土-秋田人を考える」です。
入社時に勤務地として東北を希望したところ人事部から、東京育ちで大丈夫か
と言われましたが「事務所の窓から雪が見えるところで仕事をしたい」と答え
たら秋田勤務となりました。
勤務時の広小路は人通りも多く、木内デパート前のバス停は人で溢れていまし
た。木内の店員は美人を揃えているので転勤族の花嫁候補で、男は木内で背広
を誂えて一人前と言われていると先輩に言われました。私も本社への転勤時に
一着オーダーしました。
- 世の中の変化
本社に転勤して社会部や警視庁担当が長かったこともあり、社会部の記者が見
た世の中の変わりようについてお話し致します。
福沢諭吉が設立した交詢社が発行する「日本紳士録」に掲載されることは、一
流の人物と評価されることであると思われていたので、名誉欲に付込んで紳士
録への掲載を紹介すると言って料金を取りながら、掲載されなかった詐欺事件
が多かったのですが、昭和50年以降は逆に、紳士録には住所や家族情報等の
プライバシーが掲載されているので、この情報を悪用した犯罪が多くなり掲載
を取消すと言って料金を取りながら、そのまま連絡が付かなくなる詐欺事件が
多くなりました。このため「日本紳士録」は平成19年に休刊しました。
同じように電話帳についても掲載されることがステータスでしたが、昭和50
年代から掲載を希望する人が減り始め、現状は50%程度の掲載率であると聞い
ております。
また結婚詐欺についても、敗戦で多くの若い男性が亡くなったこともあり男性
が女性を騙していましたが、昭和の終わり頃から女性が男性を騙すようになる
等、国民の意識、考え方も大きく変わりました。
秋田もバイバスや郊外に県外の量販店やショッピングセンターが立地したこと
から買い物客の流れが変わり、中心市街地が寂れてしまいました。
また秋田に赴任当初は、当社の由利通信員が電話で話す秋田弁が理解出来ず、
秋田弁の解る同僚に代わってもらったり、クイズ番組に出て秋田訛りで回答
したため不正解となり、優勝を逃す等秋田弁がかなり残っていましたが、今は秋田弁を話す人はほとんどいないと聞いております。
- 秋田は変わったか?
秋田はご案内のとおり人口減少率、婚姻率、出生率、高齢化率等人口統計は
いずれもワーストで、特に人口減少率は10年連続でワーストを記録し、県人
口が百万人の大台を割るのも間近です。
私は、秋田の急激な人口減少の要因は「グローバル化とIT化に乗り遅れた」
ためだと考えております。秋田の人口減少は、世の中の変化に乗り遅れたため
であり、その意味では秋田は変わっていないのではないでしょうか。
トランプの勝利やイギリスのEU離脱は、グローバル化に乗り遅れた貧困層が
反旗を翻したことによるものですが、秋田もグローバル化に乗り遅れた地域で
あり、所得が伸びないために人口が減少しているのではないかと、考えており
ます。
秋田県のパスポート取得率は全国最低であると報道されておりますが、これも
無重力の一例ではないかと思います。無重力とは地に足が着いてないファファ
した状態ですが、グローバル化の中で、その現実を深く考えていないことが、
バスポート取得率の低さに表れているのではないでしょうか。
平成の合併時に能代山本地区では市の名称を白神あるいは陸奥(みちのく)を
候補としたところ、白神は青森から、陸奥は歴史学者からの抗議で取り下げる
等の失態を演じましたが、これも無重力の一例だと思います。
陸奥とは宮城以北の太平洋側を指す地名であり、日本海側は出羽の国であった
ので、角館をみちのくの小京都と呼ぶのもどうかと思っています。
最近、「会える秋田美人」をキャチフレーズに舞妓の派遣事業が起業されまし
た。歌人の若山牧水が「名に高き秋田美人ぞこれ見よと居ならぶ見れば由々し
かりけり」と詠んでいますが、これは訳あって苦界に売られた秋田美人を指し
ている歌なので、そのような経緯を踏まえると秋田美人を前面に出して事業を
行うのは如何なものかと思っています。
(筆者注:この歌の解釈としては牧水が東北を旅して秋田に初めて踏み入れた
時に詠んだとされ、秋田美人とはよく聞くが実際に見ると確かにそのとおりの
美人だったの意だとしている識者もいます。)
- 秋田の県民性
静岡県西部、遠州地方に「やらまいか」という方言がありますが、その意味は「やってみよう」「やってやろう」ということで、失敗を恐れずに挑戦する気
風を表すとされております。このような風土から自動織機の発明家である豊田
佐吉、その長男でトヨタ自動車の創業者豊田喜一郎、ホンダの本田宗一郎、ス
ズキの鈴木道雄等の大企業創業者が輩出しております。
一方、秋田には「俺もやらないからお前もやるな」という言い伝えがあるそう
ですが、福島県での勤務経験がある銀行員から「東京で成功した福島県出身の
実業家は故郷に工場を建設する等、故郷に錦を飾り恩返しをしているが、秋田
出身の成功者はしていない。足引っ張りの伝統を恐れているのかも知れない」
と話していました。
サクランボに佐藤錦という高級品種があります。山形県では一粒ずつきれいに
磨いて出荷し高収益を上げていますが、秋田では房単位で山形よりも安く出荷
しています。同じ品種なのに山形では一手間掛けることで秋田よりも多く利益
を上げています。
似たようなことはトラフグでも言えます。秋田沖は下関周辺と同じようにトラ
フグの好魚場ですが、一本釣りとか漁獲法が面倒なことや消費地に酸素入りの
海水で配送する必要があること等、手間を掛けることを嫌い高価で販売できる
トラフグ獲っていないようです。
(筆者注:ハタハタを禁漁にした平成4年からその代替魚としてトラフグを漁
獲し主に西日本に出荷しているが、最近は「北限のふぐ」としてブランド化に
取組み土崎港を中心に飲食店がふぐ料理を提供している。)
鳥海山は頂上を含め6割程度は山形県の所有になっていますが、秋田県民歌の
冒頭で「秀麗無比なる鳥海山」と讃えているので、山形の人は鳥海山を宣伝し
て有難うと皮肉っています。
また、十和田湖は奥入瀬を含めて国民の殆どは青森県に所在していると思って
いますが、懸案だった湖面の境界が平成20年に秋田40%、青森60%で漸く確
定したのですから、もっと秋田の十和田湖をPRする必要があると思います。
それにしても鳥海山、十和田湖とも少なくともヒフティー・ヒフテイーの割合
になるまで頑張れなかったのかと思いますが、何れにしても秋田のおおらかな
県民性の表れとも考えられます。
江戸期中期に発生した天明の大飢饉では、岩手等太平洋側の農民が食料を求め
て秋田に押し寄せて来たので、秋田の人は白米のお握りを提供する等支援した
と記録されています。秋田は日本海に暖流が流れていることもあり、太平洋側
が飢饉であっても米が取れ豊かだったことから、おおらかな県民性が育まれた
のではないでしょうか。
(筆者注:江戸期の三大飢饉である天明、宝暦、天保の飢饉では秋田でも餓死
と疫病で20%近く人口が減少している。天明の飢饉は6年間続いており、初期
は秋田では被害が少なかったが、その後は被害を受けており秋田では飢饉が無
かったとの風説は誤りである。)
- おわりに
このおおらかな県民性が世知辛い世の中では裏目に出て、鳥海山は山形、十和
田湖は青森と大方の国民に思われるようになったのではないでしょうか。
このぬるま湯のような状況のなかでも、日本人で初めて南極探検を敢行した白
瀬矗や、渋谷駅前に忠犬ハチ公の銅像をハチ公が亡くなる1年前に建てた方を
積極的に支援した秋田県人等、進取の気性に富んだ人もおります。
銅像建設当時は日本にも大型犬ブームが到来し、シェパード等の外国産が持て
囃されていたので、日本にも秋田犬のような立派な犬がいることを知ってもら
うために、渋谷駅前商店街の協力を得て建てたそうです。
大仙市刈和野に秋田今野商店という種麹メーカーがありますが、九州の殆どの
焼酎メーカーが種麹を同店から仕入れていると聞いております。九州の焼酎が
秋田の種麹で造られている訳ですから、もっとPRしても良いのではないでし
ょうか。
盛岡に行けば名物の冷麺を食べさせてくれる有名店が何店かありますし、青森
にも海産物の旨い店が何店かあります。秋田ではきりたんぽ、はたはた、稲庭
うどん、いぶりがっこ等名物は沢山ありますが、残念ながら私にはここは間違
いなく旨いという店が思い浮かびません。やはり県外へのPRが不足している
からだと思います。
そういう意味では秋田は未だ無重力の風土を脱していないのではないでしょう
か。辛口で申し訳ありませんが、秋田県民は物事の本質は何かということを十
分に見極めて行動して欲しいと思います。
(文責:秋田人変身力会議 事務局長 永井 健)