第52回変身力研究会/女性の政治参加と大震災からの復興施策等


 2月18日に奥山恵美子仙台市長を講師にお迎えして、第52回変身研究会

を秋田ビューホテルで開催しました。以下はその講演要旨です。

  1. 女性の政治参加

 我が国は女性の政治参加は諸外国と比較しても非常に低いと言われておりま

す。例えば衆議院の女性議員の比率は9.5%、参議院は衆議院より高く20%です

が、女性首長は全国市長会(東京都の区長を含む)の会員814名のうち19名

(2.3%)と非常に少ないです。ちなみに上場会社の女性役員の比率は20%、知

事は47名中3名(6.4%)、閣僚は24名中3名(13%)と比較しても、女性市長

の割合は非常に低いです。

政府の呼びかけで女性知事・市長の会議が開催され、その際市長になった経緯

を皆さんが話す機会がありましたが、大別すると市役所内で不祥事が発生した

のでクリーンな候補としてなった方、先代市長の後継者として娘さんが選ばれ

た方、県議会や国会議員等を経験された方が多かったように記憶しております。

私も前市長の不祥事を契機に立候補しました。

女性首長が少ないので、街づくりや行政を女性の視点で行うことは重要なこ

とですが、女性市長だからと待機児童、子育て、教育等の課題解決を主に期待

されますが、女性市長だって経済の活性化や必要な箱物建設について議論した

いと女性市長会で話したこともあります。

女性市長が増えてくれば、いつまでも女性の視点からの市政が評価されるの

ではなく、男女に関係なく市長個人の行政手腕を評価して頂けるのではないか

と期待しております。

 例えば、待機児童ゼロを公約とすることは大変なことです。一つは保育士の確

保です。毎年何人の保育士が新たに誕生するかは分かるのですが、そのうち何人

採用できるかは分からない訳です。また、保育所を新設するにしても財務面の制

約もある訳ですので、待機児童ゼロを公約するのは勇気がいることです。

 仙台は支店都市ということもあって共働き家庭が少なかったので、幼稚園の

比率が高く、10年間保育園を増やしてきましたが、現時点でも幼稚園と保育園

の定員数は漸く8対2から7対3と10%改善した程度です。

 前回の選挙で待機児童ゼロを公約に掲げるよう支援者からも要請され、対立

候補からも厳しく批判されましたが、待機児童ゼロにするためには幼保の比率

を5対5程度にしなければ実現しないと予測し、そのためには十数年を要する

ことを説明しました。

 選挙に勝つために実現可能性が低いことを公約に掲げることは、市民の期待

を裏切ることであり、行政の経験者としても出来るとではありません。

 議員の方は実現可能性が低いことも公約に掲げることがありますが、議員に

とってはその志を示すということで、許されることだと思いますが、首長選挙で

は公約したことが実現出来なければ公約違反となりますので、首長選挙と議員

選挙では公約の重みが違うということを市民の皆様にもご理解頂きたいと思い

ます。

  1. 期待する議員像

 仙台市では、新人議員に市政に精通したヴェテラン職員を配置して市政につ

いて理解を深めて頂いております。議員は議会での質問が義務となっておりま

すが、その中で「何故これをやらないのか」との質問ぐらい答弁し易い質問はあ

りません。例えば財政や法制上の問題、あるいは国がやるべき事項である等出来

ない理由を述べればいい訳です。

 議員には財政等出来ない理由(壁)を打ち破る能力、例えば使える財源を示す

こと等が期待されていると思いますので、そのような能力を身に着けるには職

員と仲良くなって頂き、やれない理由等を理解するとともに職員が日頃考えて

いる財源等のヒントを頂くことも重要ではないかと思います。

 質問内容が上滑りするとか、役所のあら捜しばかりやっていると、職員の方で

も長期的なプラン等について相談しても駄目だと考えて、間違いのない表面的

な付き合いになってしまうと思います。

 1期目の議員の方には職員の意見にも耳を傾けて欲しいですし、2期目にな

ると4年間の職員からの情報から、市政の長期的な課題やプランが見えてくる

と思いますし、議員としての志を具体化していける時期ではないかと思います。

 議会は首長と違って議員としての年数、期数が力を発揮する世界です。議長や

委員長ポストの問題だけではなく、課題解決のプロセスが議員経験の長さで解

ってくるようになるのではないでしょうか。

 議員も2年ぐらい経験すると私達の方でも、この議員は将来伸びる方かどう

かが解ってきます。一つは職員から課題を真摯に聞いてそれを解決出来る能力

を有するようになるかどうかです。後はそれを補強する勉強をしているかどう

かということです。

 女性議員は教育や保育に詳しい方が多く、そのネットワークで教育や保育に

ついて教えて頂くこともありますが、ウイングを広げていく必要があると思い

ます。12年、16年も同じ領域だけでは市民の負託に応えていくことは難しいと

思います。

 市民の皆様も投票した議員が選挙時に話した課題よりも領域を広げた質問を

しているかどうかも、次回の選挙等を考えればチェックしていく必要があるの

ではないでしょうか。

 皆様が議員に会った時にこういう分野は質問しないのでしょうかと話せば、

議員は有権者の意見には耳を傾けるので、ウイングを広げるようになるのでは

ないでしょうか。

 仙台市の女性議員の方にも5期目以上の方が複数いらっしゃいますが、副議

長や会派の代表になる方も出てくると思いますので、そういう方々には仙台市

政全体への知見が求められますのでウイングを広げることが必要だと思います。

 現在政令指定都市は20有りますが、いくつかの分野のランキングで10位

以下になるとどうしてこうなのかとつい職員に聞いてしまいますが、トップの

横浜市には追いつくことは出来ませんが、現状福岡市をベンチマークにして、い

くつかの分野については福岡市に追いつきたいと強く思っております。

3.大震災からの復興施策

私が市長になって1年半後に大震災が起こり、その復興は大変な事業でした

が、私が仙台市に30数年間勤務して身に着けた市政運営のノウハウを全て復

興に捧げるようにとの、天の指示と受け止めて頑張りました。

大震災からの復興については私が仙台市の職員であったことが大きなメリッ

トになったと思っています。例えば、復興公営住宅の建設については、ある程度

職員のスキル等を知っていたこともあり、当時避難所を担当していた職員にプ

ランニングを担当してもらうことにしました。

兎に角、復興のスケジュールが市長の頭になければ何も進まないので、スケジ

ュールを具体化するために優秀な職員6~7名を企画部門に配置して進めたこ

とが、比較的早く復興事業が進捗したことに繋がったと思います。

もう一つは、復興はビルド・バック・ベター(次の災害発生に備えて、より強

靭な社会へ復興すること)でなければならないということです。今までの復興は

元に戻すという考え方ですが、これでは同じ規模の災害が起こったら、同じよう

に被害を受けるということです。事実、大震災の3年前の岩手・宮城内陸地震で

被害を受けた栗原市の小学校が、元通りに立て直したところ今回の地震で倒壊

しました。

その後、国土交通省にはビルド・バック・ベターの考え方を取れ入れて頂き

道路、橋梁、下水道工事では震災前よりも強い構造で再建出来ましたが、文科

省の強い抵抗には困りました。

例えば学校の壁のヒビ割れの復旧工事ですが、3mm以上だったら国が負担す

るが、2mm以下だったら市の負担で復旧するようにとの考えでしたので、その

1mmの差にどういう意味があるのかと思いました。

私は総理大臣になる気は全くありませんが、この原形復旧の考え方を直すた

めに、1カ月ぐらいならやっても良いと思っております。

なるべくビルド・バック・ベターで復旧できるように省庁と折衝してきました

が、その中の一つが仙台市百万の人口のうち70万人分の下水を処理する南蒲生

浄化センターの復興工事です。

同センターは昭和30年代から逐次増設を重ね総額    1,300億円を投入した施

設ですが、海から30メートルの距離のために全壊し、復旧には同程度の資金が

必要ですとの報告を震災1週間後に受けました。

下水道は公営事業なので原則全て市の負担で行うことになっておりますが、

1千億円以上の借入は市にとっては大変な負担ですので、国費の投入を国交省

にお願いし、600億円を補助して頂きました。

2階建としたので建築面積は従来の半分の防水型の最新の設備を備えた施設

が、市費の負担が当初予定の半分で出来ました。この施設こそビルド・バック・

ベターの代表的な工事です。

ビルド・バック・ベターを日本語に訳すと「転んでもタダでは起きない工事」

ということでしょうか。国にはビルド・バック・ベターの考え方で復興工事をお

願いし、職員には「転んでもタダでは起きない」精神で頑張りましょうと叱咤激

励しております。

4.人口減少社会への対応

日本は人口減少時代になりましたが、仙台市も5年後からそういう事態にな

ると思います。首長だけではなく議員の方々にはより厳しい局面になってくる

のではないかと思います。

議員の方々は何かその地域に役立つものを設置するために頑張ってきたから

です。新しい物は造れません。そのような物を造るための補助金は削減されてき

ております。

これからお願いしたいのは、自力更生の考え方です。交通も縮小します。基本

的には全てのものが減っていきますと議会でも申し上げております。

議員の方々が地元に利益をもたらすということは、これからは出来ないので

す。地元に利益をもたらすことが出来ない時代に、地域のため、市・国のために

活動している議員はどういう議員なのか。そういう意味では、議員評価の基準を

地域住民自らが持たなければならないということです。

私にも首長として道路、橋、集会場の建設等種々の陳情がありますが、私は

99%難しいですねと答えております。9割は大袈裟としても、8割は断わらざる

を得ないのです。

 このような状況のなかで希望を持つ仕掛けを考えるのが、これからの首長で

はないかと思います。

 新しい物は造れないが、希望を持った暮らしを共に創っていこうと呼び掛け

ております。

 福岡市に追いつき、追い抜こうということが、仙台市民の希望になる筈だと

勝手に思い込んで福岡、福岡と叫んでいる訳です。

(文責:秋田人変身力会議 事務局長 永井 健)

第51回変身力研究会/「無重力の風土・秋田は変わったか?」~40年前に見聞した秋田のその後~

11月18日に東北文化学園大学教授三木賢治氏を講師にお迎えして、第51回変身力研究会を協働大町ビルで開催しました。

以下はその講演要旨です。


  1. はじめに

講演のテーマはご案内のとおりですが「秋田は変わったか?」と問われれば、

「変わっていない」との答えを期待しての、荒谷会長からの講演依頼かと思い

ますが、その答えをこれからお話し致します。

私は昭和48年に大学を出て毎日新聞社に入社し秋田支局に赴任、53年まで足

掛け5年間勤務しました。この5年間の秋田での取材体験をもとに、秋田の県

民性を考察してまとめたものが「無重力の風土-秋田人を考える」です。

入社時に勤務地として東北を希望したところ人事部から、東京育ちで大丈夫か

と言われましたが「事務所の窓から雪が見えるところで仕事をしたい」と答え

たら秋田勤務となりました。

勤務時の広小路は人通りも多く、木内デパート前のバス停は人で溢れていまし

た。木内の店員は美人を揃えているので転勤族の花嫁候補で、男は木内で背広

を誂えて一人前と言われていると先輩に言われました。私も本社への転勤時に

一着オーダーしました。

  1. 世の中の変化

本社に転勤して社会部や警視庁担当が長かったこともあり、社会部の記者が見

た世の中の変わりようについてお話し致します。

福沢諭吉が設立した交詢社が発行する「日本紳士録」に掲載されることは、一

流の人物と評価されることであると思われていたので、名誉欲に付込んで紳士

録への掲載を紹介すると言って料金を取りながら、掲載されなかった詐欺事件

が多かったのですが、昭和50年以降は逆に、紳士録には住所や家族情報等の

プライバシーが掲載されているので、この情報を悪用した犯罪が多くなり掲載

を取消すと言って料金を取りながら、そのまま連絡が付かなくなる詐欺事件が

多くなりました。このため「日本紳士録」は平成19年に休刊しました。

同じように電話帳についても掲載されることがステータスでしたが、昭和50

年代から掲載を希望する人が減り始め、現状は50%程度の掲載率であると聞い

ております。

また結婚詐欺についても、敗戦で多くの若い男性が亡くなったこともあり男性

が女性を騙していましたが、昭和の終わり頃から女性が男性を騙すようになる

等、国民の意識、考え方も大きく変わりました。

秋田もバイバスや郊外に県外の量販店やショッピングセンターが立地したこと

から買い物客の流れが変わり、中心市街地が寂れてしまいました。

また秋田に赴任当初は、当社の由利通信員が電話で話す秋田弁が理解出来ず、

秋田弁の解る同僚に代わってもらったり、クイズ番組に出て秋田訛りで回答

したため不正解となり、優勝を逃す等秋田弁がかなり残っていましたが、今は秋田弁を話す人はほとんどいないと聞いております。

  1. 秋田は変わったか?

秋田はご案内のとおり人口減少率、婚姻率、出生率、高齢化率等人口統計は

いずれもワーストで、特に人口減少率は10年連続でワーストを記録し、県人

口が百万人の大台を割るのも間近です。

私は、秋田の急激な人口減少の要因は「グローバル化とIT化に乗り遅れた」

ためだと考えております。秋田の人口減少は、世の中の変化に乗り遅れたため

であり、その意味では秋田は変わっていないのではないでしょうか。

トランプの勝利やイギリスのEU離脱は、グローバル化に乗り遅れた貧困層が

反旗を翻したことによるものですが、秋田もグローバル化に乗り遅れた地域で

あり、所得が伸びないために人口が減少しているのではないかと、考えており

ます。

秋田県のパスポート取得率は全国最低であると報道されておりますが、これも

無重力の一例ではないかと思います。無重力とは地に足が着いてないファファ

した状態ですが、グローバル化の中で、その現実を深く考えていないことが、

バスポート取得率の低さに表れているのではないでしょうか。

平成の合併時に能代山本地区では市の名称を白神あるいは陸奥(みちのく)を

候補としたところ、白神は青森から、陸奥は歴史学者からの抗議で取り下げる

等の失態を演じましたが、これも無重力の一例だと思います。

陸奥とは宮城以北の太平洋側を指す地名であり、日本海側は出羽の国であった

ので、角館をみちのくの小京都と呼ぶのもどうかと思っています。

最近、「会える秋田美人」をキャチフレーズに舞妓の派遣事業が起業されまし

た。歌人の若山牧水が「名に高き秋田美人ぞこれ見よと居ならぶ見れば由々し

かりけり」と詠んでいますが、これは訳あって苦界に売られた秋田美人を指し

ている歌なので、そのような経緯を踏まえると秋田美人を前面に出して事業を

行うのは如何なものかと思っています。

(筆者注:この歌の解釈としては牧水が東北を旅して秋田に初めて踏み入れた

時に詠んだとされ、秋田美人とはよく聞くが実際に見ると確かにそのとおりの

美人だったの意だとしている識者もいます。)

  1. 秋田の県民性

静岡県西部、遠州地方に「やらまいか」という方言がありますが、その意味は「やってみよう」「やってやろう」ということで、失敗を恐れずに挑戦する気

風を表すとされております。このような風土から自動織機の発明家である豊田

佐吉、その長男でトヨタ自動車の創業者豊田喜一郎、ホンダの本田宗一郎、ス

ズキの鈴木道雄等の大企業創業者が輩出しております。

一方、秋田には「俺もやらないからお前もやるな」という言い伝えがあるそう

ですが、福島県での勤務経験がある銀行員から「東京で成功した福島県出身の

実業家は故郷に工場を建設する等、故郷に錦を飾り恩返しをしているが、秋田

出身の成功者はしていない。足引っ張りの伝統を恐れているのかも知れない」

と話していました。

サクランボに佐藤錦という高級品種があります。山形県では一粒ずつきれいに

磨いて出荷し高収益を上げていますが、秋田では房単位で山形よりも安く出荷

しています。同じ品種なのに山形では一手間掛けることで秋田よりも多く利益

を上げています。

似たようなことはトラフグでも言えます。秋田沖は下関周辺と同じようにトラ

フグの好魚場ですが、一本釣りとか漁獲法が面倒なことや消費地に酸素入りの

海水で配送する必要があること等、手間を掛けることを嫌い高価で販売できる

トラフグ獲っていないようです。

(筆者注:ハタハタを禁漁にした平成4年からその代替魚としてトラフグを漁

獲し主に西日本に出荷しているが、最近は「北限のふぐ」としてブランド化に

取組み土崎港を中心に飲食店がふぐ料理を提供している。)

鳥海山は頂上を含め6割程度は山形県の所有になっていますが、秋田県民歌の

冒頭で「秀麗無比なる鳥海山」と讃えているので、山形の人は鳥海山を宣伝し

て有難うと皮肉っています。

また、十和田湖は奥入瀬を含めて国民の殆どは青森県に所在していると思って

いますが、懸案だった湖面の境界が平成20年に秋田40%、青森60%で漸く確

定したのですから、もっと秋田の十和田湖をPRする必要があると思います。

それにしても鳥海山、十和田湖とも少なくともヒフティー・ヒフテイーの割合

になるまで頑張れなかったのかと思いますが、何れにしても秋田のおおらかな

県民性の表れとも考えられます。

江戸期中期に発生した天明の大飢饉では、岩手等太平洋側の農民が食料を求め

て秋田に押し寄せて来たので、秋田の人は白米のお握りを提供する等支援した

と記録されています。秋田は日本海に暖流が流れていることもあり、太平洋側

が飢饉であっても米が取れ豊かだったことから、おおらかな県民性が育まれた

のではないでしょうか。

(筆者注:江戸期の三大飢饉である天明、宝暦、天保の飢饉では秋田でも餓死

と疫病で20%近く人口が減少している。天明の飢饉は6年間続いており、初期

は秋田では被害が少なかったが、その後は被害を受けており秋田では飢饉が無

かったとの風説は誤りである。)

  1. おわりに

このおおらかな県民性が世知辛い世の中では裏目に出て、鳥海山は山形、十和

田湖は青森と大方の国民に思われるようになったのではないでしょうか。

このぬるま湯のような状況のなかでも、日本人で初めて南極探検を敢行した白

瀬矗や、渋谷駅前に忠犬ハチ公の銅像をハチ公が亡くなる1年前に建てた方を

積極的に支援した秋田県人等、進取の気性に富んだ人もおります。

銅像建設当時は日本にも大型犬ブームが到来し、シェパード等の外国産が持て

囃されていたので、日本にも秋田犬のような立派な犬がいることを知ってもら

うために、渋谷駅前商店街の協力を得て建てたそうです。

大仙市刈和野に秋田今野商店という種麹メーカーがありますが、九州の殆どの

焼酎メーカーが種麹を同店から仕入れていると聞いております。九州の焼酎が

秋田の種麹で造られている訳ですから、もっとPRしても良いのではないでし

ょうか。

盛岡に行けば名物の冷麺を食べさせてくれる有名店が何店かありますし、青森

にも海産物の旨い店が何店かあります。秋田ではきりたんぽ、はたはた、稲庭

うどん、いぶりがっこ等名物は沢山ありますが、残念ながら私にはここは間違

いなく旨いという店が思い浮かびません。やはり県外へのPRが不足している

からだと思います。

そういう意味では秋田は未だ無重力の風土を脱していないのではないでしょう

か。辛口で申し訳ありませんが、秋田県民は物事の本質は何かということを十

分に見極めて行動して欲しいと思います。

(文責:秋田人変身力会議 事務局長 永井 健)