新年のご挨拶(著)秋田人変身力会議 会長 荒谷紘毅

新年おめでとうございます。

2008年7月に発足した当会も早いもので今年12回目の新年を迎えました。

年6回ペースの研究会兼飲み会も69回を数え、
ここまで続けてこられたのもひとえに会員の皆様のご協力のお陰だと感謝しております。

昨年は新天皇の即位による令和の時代が幕を開け、
ラグビーワールドカップでの日本代表の活躍など明るい話題もありましたが、
一方で相次ぐ自然災害や首里城の焼失、日韓関係の悪化、アフガンでの中村医師射殺など
悲しい事件も起き、政治の世界では長期政権の驕りや緩みから閣僚の相次ぐ辞任、
「桜を見る会」も本来の趣旨とはかけ離れた行事となり、国民の批判を浴びました。

世界では相変わらず「アメリカファースト」を振りまわすトランプ大統領の言動が波紋を広げ、
中国との覇権争いが激しさを増してきました。

国内では想定される南海トラフや首都圏直下型地震への備えがオリンピックフィーバーで忘れられるのではないかと不安に駆られます。

秋田では県や自治体の努力にもかかわらず1万人規模の人口減少が続いており、地域の活力が失われつつあります。

こうした厳しい状況の中でも、変身力会議は会員のみならず、
地域の変身のきっかけとなるような催しを続けていきたいと思います。

世界の平和と皆様の健康をお祈りし新年のご挨拶とします。

2020年1月1日秋田人変身力会議会長荒谷紘毅

第69回変身力研究会報告/「コロッケ王子が仲間と描く男鹿のリノベーション」~楽しく人が集まる場所に~


 

 

11月22日に協働大町ビルで福島智哉氏(㈲福島肉店専務取締役)を講師にお迎えして「コロッケ王子が仲間と描く男鹿のリノベーション」をテーマに第69回変身力研究会を開催しました。以下は講演の要旨です。

 

自己紹介 仲間紹介

私は昭和58年に男鹿市船川で生まれて、高校までは船川で育ちました。大学は東京に行きましたが、高校、大学と山岳部に所属し日本の山だけではなく、海外の山にも登りました.

大卒後、大手外食企業勤務等を経て、平成21年に帰郷し当社に入社しました。家業である福島肉店は大正7年に曾祖父が東京品川で創業しましたが、昭和14年に曾祖母が船川の出身だったことから当地に移転しました。

会社は両親、私と妻及びスタッフ10人で運営しております。看板商品は創業時からのコロッケですが、ローストビーフやカツサンドも人気がありますし、肉単体も福島の肉として、古くからのお得意様にお買い上げ頂いております。

加えてオードブルやお弁当も作っており、それらには肉に加えて鯛等の男鹿産の魚介類を入れることもあります。

また、カレーやハンバーグも半製品として県内の飲食店に販売しております。

オガニック地域構想を一緒にやっている仲間は、船川で「縫人」という船川シャツ等のオリジナルな衣料品を製造販売しているリーダー格の船木一人さんと五里合で「コーヒー工房 珈音」を経営している佐藤毅さんです。

3人の共通点は、一度県外に出て経験を積んで帰って来たことです。船木さん、佐藤さんは今の事業を1人で立ち上げた起業家ですが、私は後継者として家業を継いでおります。3人とも精神年齢が低いとか、気持ちが先に動いてしまうとか、周囲の皆様からご心配を頂いております。

 

オガニック地域構想 

オガニックとは、男鹿に行こうという人が増えたら良いなということと、化学肥料や農薬、添加物を使用しないオーガニックな食料品や素材が増える地域にしたいということを掛け合わせた造語ですが、そういう意味を込めたオガニックをコンセプトに第1回「ひのめ市」を平成27年に開催しました。

 

オガニックの先はワクワクする男鹿と私達は定義しております。100年後の未来の子供達に何を残したいのか、そのためには僕らはどう生きたら良いのかを考えながら行動しております。

そのためにオガニック・ひのめ市で大事にしていることは、人と人との?がり、それも有機的で元から商店会にあった、持ちつ持たれつの関係や外で遊ぶ子供達を大人達が見守るような姿、そういうコミュニティを復活したいとの想いです。

 

今、男鹿で起こっていること

(1)ひのめ市

ひのめ市の会場は、当店の南側にある三角公園で、ここは昔から地元のお祭りやイベント会場として使用されたきたところです。集客が見込める大きな場所よりは、空き店舗が活用出来るこの場所でやろうと決めました。

物理的にも今ここにあるコミュニティを充実させることを目的に、ひのめ市を始めたH27年からずっとここで開催しております。

ひのめ市を始めた時は2~3百人程度の集客を見込んでいましたが、なんと1千人の来場者がありました。そのためパニック状態となり当店のコロッケを1個買うために20~30分待ちとなってしまいました。

2回目のH28年のひのめ市は3千人の来場者があり、コロッケを買うための待ち時間が40~50分となる等、高い人気を実感しました。

ひのめ市をやっているうちに、地元の郵便局や市役所の職員が目を輝かせて手伝ってくれるようになりました。その時に、人は楽しいと感じた時に動いてくれるのだなと思いました。

菅原市長も時々お見えになり励ましてくれますが、私達は市が進めた「道の駅オガーレ」のアンチテーゼとしてひめの市を始めたので、複雑な気持ちにもなります。

道の駅は将来の子供達にとっては、リスクのある箱物になる可能性がありますが、私達は見えない価値である地域住民の信頼関係に基づくコミュニティを残したいと考えていたので、道の駅には違和感があったからです。

ひのめ市に予想の5倍強の来場者があったので、アンケートしたところ自由記述欄に「オーガニックを世に出してもよいのですねとか、お話ししても良いのですね」との記載がありましたので、ひのめ市のコンセプトであるオーガニックへの関心の高さを感じ、私達のコンセプトが間違っていなかったことを確信しました。

 

(2)ひのめ商店

ひのめ市への入場者が爆発的に増えてきたので、マーケット的要素だけで終わったら、自分達の想いが伝わらないのではないかと考えて、毎月1回、ミニひのめ市と称して、当店の隣の元米屋であった空き店舗を活用してH28年からひのめ商店を開店することにしました。

毎月1回開店している「ひのめ商店」は11時開店ですが、オープン前から20人程のお客様が並ぶ等盛況で、餅つき等のイベントもやっております。店の2階は子供達の遊び場で絵本等を備えており、3階はライブ会場で知り合いの方に出演して頂いております。

出店者は希望者なら誰でもということではなく、オーガニックな食料品や素材を材料とした商品のみを扱うこととし、厳しく審査をしてパスした商品のみを販売しております。

 

(3) オガニック農業推進協議会

ひのめ市を3年程やって来た時点で、世の中のオーガニックへの対応に変化が生じているかを検証してみると、有機農家が増えているとか、有機栽培を行うための自家菜園が増えているとかそういう変化が感じられないので、自分達で一歩踏み込むことにして「オガニック農業推進協議会」を昨年、設立しました。

会の事業は①有機農家の栽培面積を増やすこと②有機農業を始める農家を支援することを目標に掲げてスタートしました。

慣行栽培(従来型農業)に取組んでいる農家にも、挑戦してみませんかと声掛けしております。例えばそば農家、滝の頭の水を使用したクレソン農家です。

また、子供達と一緒に収穫体験をしたり、オーガニック農産品の販路開拓のために東京に視察に行ったり、堆肥づくりの世界的な権威である橋本力男先生の講演会等有機農業に関する勉強会を年に数回開催しております。

推進協議会の会員は20数名でそのうちオーガニック農業に取組んでいる方は5名と少ないですが、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ等の根菜類を栽培しており、ひのめ商店で販売し化世沢食堂等でも使用しております。

 

(4) 化世沢食堂

男鹿市の多目的文化施設であるハートピア1階の喫茶店が閉鎖するとの情報を掴んだので、挑戦したい方が挑戦出来る場にしたいと考えて、協議会がオーガニックに関心のある方に声掛けしたところ、9グループから応募があったので、地名にちなんで化世沢食堂の名称で、今年の5月に9グループがそれぞれの得意料理を日替わり定食として提供する食堂としてオープンしました。

グループ代表のMAMANIの畠山さんの声掛けで、市外から出店している美味しいと評判の和食、カレー、フレンチ等が日替わりで食べられるということで、市外からも連日お客さんが来ており、船川・男鹿が最近元気になったと感じられる要因になっております。

 

今後の展望

昨年、シービジョンズの東海林さんが中心になって開催した「商店街プロジェクト」に触発されて、今月1日に合同会社船川家守社を設立して駅前の元保険会社の空きビルのリノベーションを進めており、来春2月のオープンを予定しております。

ビルは2階建で1階は飲食と販売コーナーとし、ご飯スタンド,コーヒースタンド、私達が薦めたい食料品を扱うグロサリーセレクトショップの出店を考えております。

ご飯スタンドは当店が経営し当店の人気商品の他に昔人気があったソースカツ丼、ローストビーフ丼、ステーキ丼、チャーシュウ丼等の丼物を揃えたいと考えております。コーヒースタンドは珈音が受け持ちます。

2階には子育て世代のために子供達の遊び場を計画しており、五城目町の「んなのいえ」をイメージし、運営のノウハウも教えて頂きたいと思っております。

子育て世代の若いお母さん達が、やりたいことをやってお小遣いも稼げる場を提供したいと考えております。

 

共感や関係性で築く社会

オガニックをやっている私達の考えは、地域活性化とか地域のためというよりは、自分達が楽しくなければそのような活動は出来ないということです。

地域のためというよりは、大事な人や家族のための活動で、自己肯定感が低ければ出来ないことではないかと、そういう気持ちを共有して活動しております。

欲でも良いから自分だったらどうしたいかという志、野望を共有しております。

もっと具体的にお話しすると、一度外に出て戻って来た人達の特徴として、社会参画が積極的だと感じます。同じように、幼少時に家に籠ってゲームをやっていた人よりは、海や山で遊んでいた人の方が社会への関わり方が積極的だと思います。

自分の強み、自分が持っている商材、サービスで誰かが喜んでくれる、その積み重ねが地域のためになるのではないかと考えております。

そういう意味では、ひのめ市への参加者が増えていることに手応えを感じており励みになっております。

事業が成功するか失敗するかが判断基準ではなく、やっていることに共感する仲間がいて、その仲間と一緒に過ごす時間に幸せを感じるという共感資本主義が注目されておりますが、ひめの市の成功は、正に共感資本主義ではないかと思っております。

商売をやりながらオガニックに関わっている人達の業績は、私を含めて伸長しております。人との縁の広がりで伸びていると思っております。

本日ご出席の皆様もどうぞひのめ商店や加世沢食堂にいらして下さい。

男鹿が船川が変わろうとしている姿を見て頂きたいと思います。そして私達のやっていることを一緒に楽しんで下さい。

(文責:秋田人変身力会議 事務局長 永井 健)

第68回変身力研究会報告/「ぼくらのまちのコンテンツづくり」~街の魅力を引き出し、エリアの価値を上げる~


 9月26日に秋田市南通に立地する「亀の町ストア」で東海林論宣氏(㈱シービジョンズ代表取締役)を講師にお迎えして「ぼくらのまちのコンテンツづくり」をテーマに第68回変身力研究会を開催しました。以下は講演の要旨です。

  1. はじめに

 私は1977年に美郷町で生まれ大曲高校を卒業して、東京経済大学に進学しました。在学中に始めた映像会社でのアルバイトをきっかけにグラフィックデザインに興味を持ったので、卒業後に飲食店を全国展開する外食大手の株式会社際コーポレーションに就職し、主に店舗の内装やロゴマーク、メニューのデザインを手掛けました。

 自分が内装やメニューのデザイン等を手掛けた新店舗に、お客様が溢れる光景を見るのは楽しかったのですが、農家の長男だったので秋田で仕事をしたいと考えて、入社3年後に退職してフリーランスのデザイナーとして独立し、当座の仕事がある東京と取引先を開拓したい秋田を往復する生活を続けました。

  1. 秋田市に本拠を構える

 秋田でやって行く目途がついたので、2006年5月にグラフィックデザイン、ウェブ、店舗や事務所の内外装等に関わるデザインや企画、運営等を手掛ける株式会社See Visionsを秋田市に設立しました。

 グラフィックデザインでは動物園や美術館の告知ポスターや飲食店の看板、メニュー等のデザイン、ウェブはホテルやクリニックのホームページ等の制作を手掛けております。

 秋田空港国内線ターミナルのレストランのリニューアルデザインや、本県初のプロスポーツチームとして誕生した秋田ノーザンハピネッツのロゴマークも制作しました。

  1. 南通亀の町狸小路のリノベーション

 秋田市で暮らすようになって旭川西側の川反の飲み屋街が賑わっているのに反して、東側の亀の町地区が人通りも少なく空き店舗が多いことに気付きました。

 地区の古老の話では昭和年代は、隣接する有楽町で映画を見ての帰り客や川反で飲んでの二次会向け寿司屋、近隣の住民向けの一杯飲み屋等が林立し賑わっていたのに、平成になってからは映画館、料亭、寿司屋等の閉店が続き、一杯飲み屋横丁の狸小路も空き店舗が多くなったので、暗くて怖い処になってしまったと嘆いておりました。

 そこで誰もが集えてワイワイガヤガヤ酒を飲み、談笑できる安くて美味しい店を出せば人が集まるのではないかと考えて、飲食店の経営者に持ち掛けたところ断られたので、狸小路の空き店舗をリノベーションして2013年にスペイン風居酒屋「酒場カメバル」をオープンしました。

 14年にはカメバルの向かいのマージャン店跡をリノベーションして、イタリア風居酒屋「サカナ・カメバール」(現在は閉店し他の業者に貸出中)をオープンし、18年にはパン屋「亀の町ベーカリー」を開店しました。

 カメバル、カメバール2店の開店で狸小路が賑わうようになると他の飲食店も進出し、小路全体が明るくなり地域の住民からも喜ばれております。

  1. 「ヤマキウビル」のリノベーション

 次に目を付けたのは同じ亀の町に所在する酒類卸売業を廃業して、空いていた3階建ての事務所ビルと2階建ての倉庫です。

最初に事務所ビルをリノベーションして1階を人が集まるカフェに、2階3階を賃貸事務所にするプランを事務所のオーナーに提案しましたが、けんもほろろに断られました。

 そこでオーナーのご子息にお会いして、リノベーションして亀の町地区に賑わいを取り戻したいと訴えたところ理解して頂き、オーナーも頑張る若者と一緒にやろうと決断し、改修資金を賃借料で返済することを条件に、貸付して頂く等大変お世話になりました。

 リノベーションした事務所ビルは15年10月に「ヤマキウビル」としてオープンしました。

ヤマキウビルの1階は「亀の町ストア」の店名の食料雑貨店を併設したカフェで、気軽に立ち寄れて飲食が楽しめるスポットとして、昼夜を通して老若男女で賑わっております。

依頼があれば結婚式の二次会や本日のように講演会等のイベント会場としても使用しております。

 なお、販売品のなかには私の両親が栽培している「あきたこまち」もありますので、お帰りの際にはどうぞお買い求め下さい。私のささやかな親孝行と思っております。

 また、「亀の町ストア」の開設を機に飲食販売部門を株式会社SPiraL

.Aを設立して分離し、当社の本社を3階に移設するとともに2階には税理士事務所等当社と関係の深い事業者に入居して頂きました。

5.「ヤマキウ南倉庫」のリノベーション

 今年の6月には「ヤマキウビル」に隣接したビール等の酒類倉庫として使用していた2階建ての倉庫をリノベーションして「ヤマキウ南倉庫」としてオープンしました。

 1階は中央のホールを囲むように小型スーパーや美容院、ネイルサロン、生花店、雑貨店等個性的な10店舗がテンナントとして入居しております。

ホールは屋根付きの公園をイメージして作っており、誰でも出入り出来るスペースで、大変お世話になったオーナーのお名前を頂いて「KAMENOCHO HALL

KO-EN」と名付けました。

「ヤマキウ南倉庫」のコンセプトは「SYNERGY=シナジー」で、様々なモノ、コト、ヒトが集まり交流し、集積・発信される拠点として、街を新たに創造する場です。

 このためホールではトークイベント「DISCOVER CAMENOCHO」を定期開催する等、秋田の若い世代が集まる仕掛けを作り、参加した人達が秋田を元気にする仲間となる契機になればと思っております。

 2階には秋田初の縫いぐるみの熊で有名なドイツのシュタイフ社や高級家具のアンテナショップが出店しました。

賃貸オフィスには当社と関連した設計事務所等6事業所が入居している他に、ワコーキングスペース(スペースを共有しながら独立して仕事を行う場)を設けており、テナント同士が語らってイノベーションが生まれることを期待しております。

 この倉庫をリノベ―ションするに際しては、今まで使用していなかった秋田市の補助金を資金調達の一部として活用する予定でしたが、土壇場で不可となったのでオーナーに再度お願いして補助金分を借入しました。本当にオーナーにはお世話になったと感謝しております。

 また、この補助金申請の段階で当社が立地する亀の町地域が「中心市街地商業集積地域」に新たにに指定され、空き店舗等への出店に際しては、出店費用が補助金の対象になったので、当社は補助金が受けられなかったものの地域のためには良かったと思っております。

  1. 終わりに

 お蔭様で進出当初は空き店舗だらけだった狸小路も空き店舗がゼロになり、ヤマキウビル、倉庫のリノベーションで交流人口が増加したことで、亀の町の空き物件も減少しております。

 そういう意味では亀の町エリアの価値は着実に上がってきております。

 また、ヤマキウビルのオープン以降マスコミに取り上げられることも多くなったので、物件の持ち主や飲食店等を開業したい方からの相談も多くなって来ました。

 私の強みは秋田で開業して10年余で築いた設計、工事、器材、食材販売業者等との幅広いネットワークとハードからソフト、建物の内装から箸袋まで提案出来るデザイン力です。

特に能力があって本気で起業を考えている方には、徹底したサポートを行いたいと考えておりますので、ぜひご相談下さい。

 最近は県からの要請もあり「動き出す商店街プロジェクト」のプロデューサーとして県内を廻っておりますが、男鹿や美郷町では若い人を中心に空き事務者や空き店舗をリノベーションしたプロジェクトが動き出しております。

 私の亀の町でのリノベーションが県民に理解され、現状を変えるために動き出す契機になることを祈念して講演を終わらせて頂きます。

            (文責:秋田人変身力会議 事務局長 永井 健)

 

第66回変身力研究会報告/「地方創生―成果と課題」

6月13日に秋田ビューホテルで椎川忍氏(地域活性化センター理事長)を

講師にお迎えして、第66回変身力研究会「地方創生―成果と課題」をテーマに講演会を開催しました。

以下は椎川理事長の講演要旨です。


  1. はじめに

 世の中には成功のバターンは無いと言われております。失敗のパターンは必ず有ります。これは経営学で言われていることです。他の地域で上手く行っているからそれを秋田でやっても絶対成功する訳はありません。

 成功とは偶然の人の結び付きとか、資源の結び付きで起こることが多いです。

 失敗のパターンはある程度あります。全く経営計画を立ててないとか、資金計画が出来てないとか、人の意見を聴かないとか、住民の意見を聴かずに箱物を作ったとかがあります。

 ですから失敗しないように最低限のリスクをヘッジすることは出来ますが、こうやったら成功するとのパターンはないので、自分達で考えて徹底的に本気でやることです。ということで、本日は本気でやるということをテーマに話してみたいと思います。

  1. 成功するための法則

 私が本気で取り組んで成功した事例がありますので話してみます。本気で続けて取り組まなければ成功しません

 例えば鹿児島県鹿屋市串良町柳谷(やなだん)です。人口300人の集落ですが人口減を克服し、地域産業おこし、青少年の健全育成、ピンピンコロリも達成した地域ですが、私はそこに10年通っております。

年2回全国から60人位の塾生が来て4日間の塾を開催しておりますが、そこの講師として7期から直近の25期まで全て参加しております。

 都合で欠席という選択肢もありますが、私は続けることを優先して全て出席しております。

 山伏修業を6年やっております。毎年1週間、山に籠っての修行ですが、毎年感じることが違ってきますので続けております。5回修業すると先達になるから止める方もおりますし、1回で来なくなる方も沢山おります。

 山伏とはどういうことかと考えながら、白露の装束で毎年5回位講演しておりますが、それは山伏として死ぬことだという考えに至りました。ということは死ぬまで修行だということです。

 毎年同じ時期に修行してますが、私としては1回休めば山伏でないとの決意のもとに、本気で山伏修行を続けておりますが、今一番本気で取り組んでいるのは人材育成です。

  1. 人材育成

 私のやっている人材育成は専門性を身に着けた人材の育成ではなく、横に人と地域を繋ぐ人材の育成です。我が国は太古の昔から縦社会で能力を発揮する人材を育ててきましたが、今求められているのは、地域で横に結びついて地域の困りごとを解決する等のイノベーションを起こす人達、そういう人材を育てたいと活動しております。

 私は地方財政の専門家ですが、公正公平な地方交付税の配分等は誰でも出来ることだと思っておりますので、役所を退職後は私の経験を若い人に伝えて、横に人と地域を繋ぐ人材を育てたいと考えて本気で活動しております。

 関東大震災後に内務大臣兼帝都復興院総裁や東京市長等を歴任した後藤新平の「金を残すは下策、仕事を残すは中策、人を残すは上策」との言葉がありますが、この言葉が私の人生観に繫がっております。

 人生は終わりに近づくほど重要です。極端に言うと死ぬ日が一番大事です。死ぬ日に自分が幸せな人生だったと思える人が幸せな人です。40歳で社長になろうが、総理になろうが、死ぬ日に自分の人生は駄目だった思う方は不幸な人です。

  1. 私の自負できる仕事

 私が本気で取り組み出来たと自負出来る仕事としては、30歳台に国産の救急ヘリを開発し、救急業務の定義規程に関する消防法の改正や国際消防救助隊を創設したことです。これらの業務を遂行するためにFEMA(米国緊急事態管理庁)に在外研究員として派遣されました。

40歳台では島根県に総務部長として出向し、県立大学の開設したことです。大学の開設では学長人事が最重要課題ですが、当時島根県に縁のある何人かの東京の有名大学の学長に声を掛けましにたが、成蹊大学の学長を務めていた現代中国史の宇野重明先生が、理想の大学を創ることが出来るならと応じてくれました。このため5億円の北東アジア研究基金を作りました。

自治大学校の校長の時に大学校の経営改革を行いました。当時の寺田秋田県知事から県庁の職員は大卒が多いので、大学院大学にしたら職員を研修に参加させますとの要望があったので、1年間の研修期間中に自治大学校と一橋大学及び政策大学院大学の修士課程を卒業するダブルスクール制にし、自治大学校を抜本的に改革しました。

次に定住自立圏構想の制度化と地域おこし協力隊の創設です。当時の福田首相、増田大臣から地方に定住する人を増やすために、定住自立圏構想を制度化してくれとの指示があったので制度化しましたが、制度化しただけで地方に人が増えるとの確信がなかったので、各方面の方から意見を聴き3年間の所得を補償するので、お試しに地方に移住する制度として「地域おこし協力隊」を創設しました。

民主党政権下ではあるものを活かす地域力創造を目的とした「緑の分権改革」を政策立案しました。安倍政権下でも地域経済循環創造事業として引き継がれております。

  1. 内発的発展と外発的発展

 日本は鎖国、明治維新と第二次世界大戦の敗戦で非常に歪んだ国になった。明

治維新はすばらしいことだけど影は知らない。明治150年の影を見なければいけないのではないか。これから日本が成熟社会になって何処に向かっていくべきかと考えた時に、経済中心の欧米へのキャッチアップだけをやってきたからこんな国になったのではないでしょうか。

 だから地方移住が進まないのではないでしょうか。地方創生の目標を達成出来ないから総合戦略を立て直すとか言ってますが、根本が違うのではないでしょうか。

 政策やお金だけで人間は動きません。子供の教育だと思います。20年掛かっても一本化していた価値観を多様化して、それを受容する社会を作らなければ一極集中は直らないと思っております。

 いくらお金を配っても、お金中心だから田舎に住んでもつまらない、農業をやってもつまらない、都会の会社に入って高いサラリーを貰って良い生活をしなさいと親は言ってきました。そう言って子供を都会に出してそういう価値観を子供に植え付けてきたのだから、それを直さない限り一極集中は是正出来ないと思っております。

 ところがヨーロッパでは出来ています。農業はすばらしい仕事だよ、自然と共生してゆったりと子供を育て、都会であくせく働からなくても良いという考え方が浸透しているからです。

 日本の社会では農村も地方も都会になろうとしています。皆な都会人になろうとした。これが価値観の一本化であり、明治維新の考え方、福沢諭吉が言う「脱亜入欧」の考え方なのです。そうしなければ欧米の植民地になっていたので、当時としてはやむを得ない考え方であった訳ですが,その反省が150年間出来なかったので、自分で植民地を造り戦争をして原爆を二つ落とされてペチャンコになってしまった。

 そこからまたゼロから経済でキャッチアップしなければならない。凄く優秀で勤勉な国民だからキャッチアップし、世界第二の経済大国になりました。

 しかし、その影とはなんだったのかを考える必要があると思っていましたが、内発的発展という考え方が日本では常に後ろに追いやられていました。

 外発的発展つまり企業誘致やれば良い、住宅団地を造れば良い、政府の機関を誘致すれば良い、原発を造れば良いとやってきました。

 自分達の地域に有ったものを先ずしっかり守って、そのうえで企業誘致が成功すれば万々歳ですが、本当に万々歳でしょうか。30年もすれば出ていくのではないでしょうか。

大規模店舗はどうでしたか。出店した時は良いけれども中心市街地をシャッター通りにして、売上が落ちたら出て行きます。再開発ビルが空っぽになることが世の中に沢山あります。

だから自分達の地域にあるものを先ず大切にして、その上で外発的な物を求めなければいけないのに、有る物を活かす地域力創造を忘れてしまいました。

外の力でなんとかなるよと、そんなことを目指して来た国ということになります。

  1. 地方創生への取組

 平成26年に地方創生大臣になった石破さんに呼ばれたので、地方創生について意見具申しました。

 今まで地域活性化をやらなかった政権はありませんでした。過疎、過密から始まって何十兆円もの資金を地方に投入しましたがこの状態ですので、何かが間違っていたと思いましたので、最大の間違いは人を育てなかったことだと申し上げました。

 派手な事業にはお金を投入しますが、人材の育成には国も地方もお金を使わなかった。地方の首長さんに会ってお話しをすると人材育成に関心があるかどうかはすぐ解りますが、人材育成には20年掛かりますので、任期4年の首長に期待するのは無理かも知れませんが、一番重要なことですので注力してもらいたいと具申して「地方創生カレッジ」を創設してもらいました。

 地方創生に関する講座を160ほど開設しており、全てeラーニングで学べますが、受講者が予想したより少ないです。勉強のツールを国が提供したのに受講者が少ないのは、受講する地方の側に問題があると思います。

 私も5本ほど作っておりますが、地方創生の本当の意味を知りたければ、次の2本を見て頂けば理解できると思います。「行政に頼らないむらづくり・やねだん」と「あるものを生かす地域力創造」です。

 20年前に地方創生に気付いて取り組んで成功している「やねだん」を見て頂ければ、全て解りますのでぜひご覧になって下さい。

  1. 地域活性化センターについて

 地域活性化センターについて少しばかりお話しします。私は平成25年にセンターの常務理事になり、翌年に理事長になりましたが本気で人材育成に取組んだら職員が39名から5年で2.2倍の87名になりました。他では勉強出来ないことがセンターでは出来るということで、例えばNPO、民間企業、マスコミのインターン、政策研究大学院大学の夏期講習、自治大学校、市町村アカデミー等

での研修が受けられることから自治体からの派遣者が増えたからです。

 現状、横にどんどん知識や人脈を広げていく人材を育てる場所がほとんど無いので、小さな自治体では無理なので共同でやりましょうと県の町村会等に呼び掛けております。

 各県にも市町村職員の人材育成をセンターと一緒にやりましょうと呼びかけておりますが、県は全く乗ってきません。

今の県庁は中間管理機構になってしまって、現場に出て行くお金も時間もなくなっているので、現場の意見を聴いて政策を作っていくということが少なくなっているのではないでしょうか。

 本気でやれば出来ることがいっぱいあります。センターは毎年5千万円の赤字を出していました。これでは15年位したら基金を食い潰して無くなってしまうと考えて、赤字ゼロを目指して本気で取組んだら地方創生の追い風もありましたが3千万円程度の黒字に転換しました。

  1. 地方創生の本質

 地方創生の本質を解っていない人が多いということは、市町村・行政止まりになっているからです。一番大事な国民意識の改革が出来ていないからです。国はもっとそこに力を入れるべきだと考えております。

 国は法律を作り交付金制度を作ったので、後は地方の責任としておりますが、もっと大事な国民意識の改革・教育の改革を国がしなければならないと思います。

 教育の改革はグローバルな経済戦争に勝ち抜く人材を育てるだけではなく、地域守る人材をどう育てるかをもっとやらなければならないと思いますので、そういう意味ではピントがちょっとぼけていると思います。

 だから自治体は国の政策を活用して、自分達がやらなければならないことをしっかり見据えて、本気になって考えて自分達でやれば良いのです。

 地方創生の基本法は「まち・ひと・しごと創生法」ですが、ひとの育成には何をやったのかと考えて、平成26年からセンターで取組んでいるのです。

 ひとの育成に取組まなかったからGDPが600兆円になろうとしているのに、人口が減少しているのは、人類の歴史上あり得なかったことです。食料の生産増、例えば江戸時代の新田開発や産業革命後には人口が増えたのに、5Gとか情報化

革命が言われているのに、このまま行けば2100年頃の日本の人口は江戸時代に

戻ってしまうと予想されております。

 現状の出生率が続けば400年後には、日本民族は滅亡すると云われておりますが、日本は無くなりませんので外国人が経営することになるでしょう。だから移民の話が出てくるのです。

 政府が移民政策では無いと言っていますが、人口が7千~8千万人になれば、労働力不足から移民無しでは現状の生活水準を維持するのが難しいと思われますから、そういう意味でもう少し単一民族で頑張りましょうという政策が、地方創生なのです。

 このことを今の中学生が理解しなければ駄目でしょう。秋田県の市町村別の将来人口推計があると思いますが、それぞれの市町村の中学生がこのことを理解しないと日本民族は滅亡してしまいます。

 30年後には日本の人口は1億人を割っておりますが、会場の皆さんでその頃生きている方は少ないと思いますが、30年後に苦しむのは今の中高生ですので、地方創生の戦略を立てる際は、中高生の意見を聴くべきだと思いますし、そういうことをやっている自治体もあります。

 地方創生の戦略を審議する場が、従来通り地域の名士を集めたお墨付を与えるだけの会議であれば、実効性のある政策は出来ないと思います。何故なら県民の意識が変わらないからです。そういう事を私は地方創生が始まった26年からの言い続けております。このことは人間の生き方に関わっているからです。

 高学歴、高所得になれば人口は減り続けるという現象は、世界中に起きていますが、フランスみたいに克服した国もあります。フランスやアメリカは移民の出生率が高いということも有りますが、それはそれで色々と問題を抱えていることも事実です。

 地方創生の柱として生産人口・子育て世代の取り合いが起きています。政府

は出生率を上げるために、消費税の一部を子育て世代に配分し、出生率の低い東京から地方に移住して悠々と子育てしましょうとの政策を決定しました。

 地方は出生率を上げると共に人口の社会増減をゼロにするかプラスにすることが出来る訳ですが、これが取り合いになっております。

 地方創生は基盤が出来ていなければ出来ません。基盤とは自立する住民です。

本当の意味での住民協働が出来ていて、人材育成の仕組みが出来ている地域、若者の力を引き出し地域経済の循環構造が出来ている地域でなければ出来ないと考えています。

 消費税増税でプレミアム商品券が計画されておりますが、地域経済の循環構造が出来ていなければ、地域で使われずにザルに水の如く中央に吸い取られるでしょう。

 日本経済も同じような構造でした。輸出で外貨を獲得しその外貨で石油を輸入して電気を造っていましたが、原発の破綻や環境問題から太陽光発電が推奨され我が家でも設置しましたが、中央資本が設置するメガソーラーは地域経済には何も貢献しておりません。

 ゼロ金利の時代ですからファンドを組成して、地域からお金を集めてメガソーラーを設置することが地域のためです。

  1. 社会減を克服した事例

 社会減を克服した事例については「ひと・まち・しごと創生本部」や当センターでも研究し色々なことが解りましたので、紹介いたします。

 創生本部では8団体選定しましたがその中で、余り有名でない市町村を例えば北海道のオホーツク海に面した西興部村(にしおこっべ村人口1,116名)ですが、持家奨励と子供の医療費無料化で人口はほぼ横ばいを維持しております。

 同じ北海道のニセコ町は有名ですが、私も今年行きましたが外国人で賑わっており、日本語が通じない店もありましたので、お金が何処へ行っているかを

考えなければなりませんが、社会増にはなっております。

 聞いたことのない村ですが、鳥取県の西粟倉村(1,477名)は、IT林業に取組み関西圏に近いこともあり、若者の移住で社会増になっています。

 小さい自治体だから出来ているのでしょうとの意見もありますが、小さい処が出来なければ、大きい処が出来る訳がありません。細胞が元気に活動していないのに身体が元気になる訳がありません。

 社会増を考えた時には当然のことですが、付加価値を生む所が近くになければなりません。その他に金融所得とか仕送り所得、年金所得がありますが、子育て世代は付加価値拠点が2時間圏内になければ生活出来ません。

 何故こんなところが社会増なのかということが大事なのです。ベットタウンを造れば出来るでしょうと云いますが、出来てないところもあります。

 それからバランス型と云って広島市とか岡山市とか全てがある所は色々と遣り様がありますが、遣り様が無いところが例えば北海道の鶴居村ですが、社会増になっていますので紹介します。

 同村は冬に丹頂鶴が飛来しますのでその観察のために訪れる外国人が多く、そこで農家民泊をやっている女性の話として、ここで3カ月働かせてくれないかとの依頼もあるそうです。ちなみに日本人はほとんど来ないそうです。

 島根県の海士町(あまちょう)ですが、引退したNTT職員だった山内前町長は議員になり町長になって本気でやりました。最初は自分の給与を3割カット、職員1割カットで頑張りましたが、住民が全然動かないので5割カットしたら、職員も私達も3割カットして下さいとの申し出があったので、そうしたところ

住民から「役場職員は細かいことで動かないで良いから、所得が増えるような、移住者が増えるような課題に注力して欲しい」と申出があったとのことです。役場の本気度が住民に伝わったという事でしょう。

 海士町の隣にある知夫村(ちぶりむら人口600名)は、牛が2,500頭放牧されていますので稼ぎ口はあります。牛は生きたまま東京に運びます。隠岐牛と呼ばれているそうですが、島に屠殺場が無いので出雲に持って行って屠殺すると島根和牛と呼ばれるので、東京に直送し品川で賭殺していますが、松坂牛より高い値が付くそうです。

 この牛の放牧は村の土建屋が公共事業の先行きに見切りをつけて「潮風ファーム」を立ち上げてやっております。

 島根県では邑南町(おうなんちょう)も有名ですが、ここで特筆すべきことは全ての集落が社会増になっていることです。集落の人口分析をして目標設定する際に、住民が自分達の集落はどうしたら良いかを話し合って努力したからです。細胞が元気になれば身体も元気になります。

 以上のように小さい町村が多いですが、小さいほど本気になり易いし、成果も出易いということでしょう。

 残念ながら秋田県は一つもありませんが、藤里町がちょっといい線を行っている感じです。秋田市等の大きな都市で無く藤里で上手く行っている要因は「お金」でやっていないからだと思います。

 小さな自治体はお金で勝負してはいけないんです。お金で勝負したら負けるに決まっているからです。お金じゃない自分達の土俵を構えてやるということです。その土俵が何なのかを突き詰めて考えて本気でやるということです。

                                以 上

第65回変身力研究会報告/「秋田を変身させるためにー人口減を考える」


 3月20日に協働大町ビルで山崎宗雄氏(元秋田朝日放送シニアプロデューサー)をプレゼンテーターにお迎えして、フォーラム「秋田を変身させるためにー人口減を考える」を開催しました。

 以下は山崎氏のプレゼンテーションの要旨です。

1.はじめに

40年間、秋田の政治、経済、文化を取材してきた者として、感じていることを私論として問題提起させてもらいます。

人口減少は秋田だけではなく全国的な難しい問題で、解決の糸口がなかなか見つからないですが、問題提起として3つのことをお話し致します。

一つ目は、人口減少を私達はリアルな数字で考えているのかということです。

二つ目は2040年代を考えても秋田県全体の人口減少率と秋田市の減少率は

かなり違いがありますので、秋田市が果して人口のダムになれるのかです。

三つ目は地方選挙での無投票当選と地方議会の役割についてです。

2.人口減少の意味

2年前に佐竹知事が当選直後の記者会見で、県民は人口減少を余り気にしていない、気にしているのはマスコミだけだとおっしゃいました。私は知事の発言としては問題があると思いますが、全面的に否定する気はありません。

と言いますのは、私達は日常の中で人口減少を真剣に論議しているとは思えないからです。それには様々な要因があると思いますが、私は二つのことを取り上げたいと思います。

一つは作家の吉行淳之介さんが「麻雀に負けない方法」で書いていたことです。麻雀で満貫を振込むと5千点棒と千点棒3本を払います。云わば点棒という記号が移動するだけですので、それでは痛みを感じじらい訳です。

しかし、千点10円の時代で煙草のハイライト1個が80円でしたから、満貫を振込むとハイライト1個分とリアルに考えることによって色々と見えてくる問題があるのではないかということです。

つまり毎年、今年も人口が1万人減りました、百万人を切りました、2040年には70万人を切りますと言ってるだけでは、麻雀に例えれば聴牌もしないで箱点に近い状況にあるのではないかと思います。1万人とは言っても麻雀と同じでリアルな数字で語っていない、人口が1万人減るということは、ハイライト1個分に相当するのは何かということです。

佐竹知事が就任以降10年間で秋田県の人口は10万人以上減りましたが、この数字は県内第二の都市である横手市の人口と略同じですから、横手市が無くなってしまったとリアルに考える必要があるのではないでしょうか。

秋田県の一人当たりの消費金額は120万円と推定されますから、人口が1万人減るということは、個人消費が年間100億円減るということで、かなりリアルな数字です。

この10年間で秋田県経済は多分1千5百億円以上の個人消費を失っている訳です。

年間100億円の個人消費が減少するということは、例えば零細な小売店、飲食店、工務店等を営む県民にとってどれ程大きな打撃になっているかということです。

秋田市の商業センサスによりますと秋田市の小売業の売上高は1兆5千億円、うち中小小売店が3千5百億円で1店舗当たりの平均売上高は1億2千万円ですので、年間100億円の個人消費額の減少は80軒分の売上が消えたということです。

事実この調査では秋田市の小売店は5年間で1割減っています。

人口が年間1万人減少するということは、小売りやサービス業の売上が年々100億円下がっていくということですから、吉行淳之助風に言うとハイライト1個分を振込みたくないと、考えるようになることが必要だと思います。

もう一つは秋田市の問題です。秋田市はここ数年こそ人口減少トレンドに入っていますが、秋田県は1950年台から人口減少が一途の中で、秋田市だけは人口が増加してきた歴史があります。

秋田市は国の出先機関、県庁、銀行・マスコミ等の本社が立地しており、そこの職員は人口の減少していない秋田市に住んでおりますので、人口減少問題を論じている県庁や銀行、マスコミ等の職員は、そのことをリアルに肌で感じていないのではないかということです。

新しいマンションが建っている、大型ショピングセンターの出店も計画されているので、人口減による売上減少は秋田市以外の地方で大きく影響しているのではないかと思います。

先日にかほ市で講演した時に市役所の方が、昨年の出生数が100人を切ってしまったが、小学校が3校あるので今後どうしたらよいかと嘆いておられました。

少子化は秋田市でも進行しておりますが、地方の深刻さは秋田市の比ではなく、若年層の減少がリアルに住民生活に影響を与えております。

取材で過疎地と呼ばれる鎌鼬美術館のある羽後町の田代、動画コンクールを開催している藤里町、アートプロジェクトの上小阿仁村八木沢に行きました。

特に上小阿仁村には日本で最後と思われる活版印刷の新聞社があったので、その取材で何回も足を運びましたが、その企画書を書き直す度に人口が減っていました。まるで高速道路を運転する軽自動車の油量計のように、どんどん目に見えて減ってました。最初に書いた2013年には2,700人でしたが、2015年には2,400人を切ってしまう等加速度的に減少していました。

五城目町も同じで2013年には1万人だった人口がその後の5年間で1割減っております。そこが秋田市に住んでいる人と秋田市以外に住んでいる人とでは、人口減に対する肌感覚の違いがあるのではないかと、全県を取材していて感じる訳です。

肌感覚でリアルに人口減を感じていない秋田市民が、人口減を余り気にしていないというのは、正に佐竹知事がおっしゃった通りだと思いますので、知事が話していた人口減をそれ程気にしていないのは、県民ではなくて秋田市民ではないかと考えております。

3.人口のダムとしての秋田市の課題

秋田市が人口のダムにならなければ、秋田県全体の人口減少を食い止めることは出来ないと考えております。

昭和5年の秋田県の人口は100万人でしたが、その時の秋田市の人口は5万人でした。その後昭和16年に土崎港町、新屋町他を編入し20年台には10万人に増加、29・30年には周辺13村を編入し30年代には20万人台、平成に入って30万人台となり、平成17年に河辺・雄和を編入して33万3千人のピークを迎えました。

合併に次ぐ合併でしたが、昭和5年から90年近くで秋田市の人口は6倍に増えましたが、秋田県の人口は昭和31年に135万人のピークを付けた後、一時的に持ち直した年もありましたが、昭和57年からは一貫して減少しており、昨年末には97万8千人とピーク時比37万人余(27%)の減少となっております。

秋田市の人口30万7千人に対して県の人口は97万8千人ですからその占める割合は31%と一極集中都市(プライメイトシティ)ということになります。

第二の都市の横手市の人口が9万人ですから第二の都市の3.4倍の人口を抱えておりますが、これは先ほど言いましたように国の出先機関、県庁、金融機関及びマスコミ等の本社機能さらには鉄道、港湾、空港と交通インフラも整っていますから当然の事だと考えます。

だから私論ですが秋田市民は秋田市も人口減少トレンドに入っているにも関わらず、人口減少への危機感が薄いのではないかと思っております。2040年には23万5千人になると推計されておりますが、秋田県全体の人口減少を喰い止めるためには、プライメイトシティである秋田市の人口減少をどう食い止めるかに掛かっていると思います。

秋田市に求められるのは、戦略的拠点都市として県内の地方から県外に流失する人をも秋田市で食い止めるための人口のダム機能です。

そのためには何が必要かということですが、先日の新聞に秋田大学・県立大学と県で構成する「県大学振興・若者雇用創出推進会議」が申請した「地方大学・地域産業創生交付金」活用計画が不採択となったので、2019年度に修正して再申請すると報じられておりました。

不採択の理由としては、育成した学生が県内就職する流れが具体化されていないとの指摘があったとのことでした。

この交付金は東京一極集中を是正するために、地方での産学官連携を支援することを目的に設けられたものですが、課題は産業の芽となる研究開発機能を国の補助を得ながらどのように創出し、地方で学び地方で働くという人材の循環をどう創っていくかということだと思います。

それを担えるのは大学が集中している秋田市に限られるのではないかと思います。秋田県の人口分布のなかで20歳~24歳のゾーンは秋田市以外の地方では極端に減っておりますが、秋田市はそれ程減っておりません。

これは地方からの若い世代の人口流失を、秋田市がある程度食い止めるダム機能を果しているからではないかと考えております。私はここが最も大事なことだと思っております。

次に地方から東京に出て行って高度成長を支えた人達が、2025年以降は全て後期高齢者となり、大規模団地が全部高齢化するといった阿鼻叫喚の事態が予想されます。

このため秋田の若い介護人材が東京に吸い上げられる危機が迫っているように思います。働く側からすれば給与等の労働条件が良ければ、当然のように東京に就職すると思うからです。

そのような事態になれば秋田も同じように高齢者が増える訳ですから、介護人材が不足して、秋田の高齢者にとっても阿鼻叫喚の事態となります。

このような事態を避けるためには発想の転換で、都会の元気な高齢者を地方に移住させる、いわゆるCCRC(継続的なケア付きの高齢者共同体)構想を推進することが大事だと思います。

地方には高齢者を迎えて雇用が創出されますが、一方では移住した高齢者が介護保険を利用するようになれば、介護財政を圧迫するのではないかとの意見もあります。

しかし、厚労省では高齢者100人の移住で年間1億8千万円以上の消費を見込んでおり、特養に入るのは100名のうち3名程度と試算しておりますので、介護財政の圧迫もCCRC構想で引き起されることは無いと考えております。

4.被選挙権の危機

筑紫哲也さんが2001年に「政治参加する七つの方法」という新書を出版しておりますが、その中で元秋田美術短大学長であった石川好さんがマスコミは選挙に行こう、棄権はダメだと言いますが、選挙に出ようとは言わないと書いています。

選挙に新人が出ないので無投票の当選が増えている。これが政治の固定化を招き、有権者の諦め・諦観に繫がっていると考えます。これが被選挙権の危機だと思いますので、そこで何が問題なのかをお話しします。

日本創生会議が2014年に発表した消滅可能性都市は衝撃でしたね。そこで消滅可能性が高い上位100市町村のうち52市町村の直近の首町選挙が、無投票であることが解りました。

つまり地方の衰退は民主主義の基本である選挙にも影響を及ぼしているということです。しかも52市町村のうち半数の26市町村が2回連続無投票であることも解りました。選挙で民意を問う経験をしていない首長が多いということで、ここが消滅の可能性が高い自治体ということです。

秋田県でも前々回知事選を無投票にしてしまった。良く言うのですが「争いは避けるべきだ」と、手腕に定評のある現職を推薦して何が悪いのかという意見があるのですが、皮肉にも再選された記事の横に、県内の地価15年連続下落との記事もありました。

増田寛也さんの評価は毀誉褒貶色々あると思いますが、増田さんは「消滅可能性の高い都市で無投票が多いのは自治力の低下を示しており、リーダーを選ぶ時には複数の候補が大きな方向性を示してお互いに競い合わなければ、地域の活力の芽が出て来ない、無投票が近づけば危機が他人事になる。無力化だと地域の沈滞を招いて、その地域がより消滅に近づく」とおっしゃっております。

この後、増田さんは東京都知事選に出て小池さんと争って負けた訳ですが、ここでおっしゃっていることは、間違いないことだと思います。

4月7日に県議選がありますが、前回は14選挙区のうち5選挙区が無投票でしたが、今回は8選挙区で無投票の可能性がありますので、ここでは被選挙権が使われていないことになります。

前回の統一地方選での有権者の声として「社会保障を充実させる実行力のある候補とか雇用の場の創出を期待している」等が新聞に掲載されておりましたが、有権者に執行機関である行政と議決機関である議会・議員の役割に誤解があるように感じました。

議員の選挙で「秋田を元気にします、雇用を増やすます」とかスーパーの安売りチラシのような公約を並べる候補もいますが、結果として何も出来なかったということは、議会と執行部の役割を間違って認識しているので、そのようなことを引き起こしているのではないかと思いますし、民主主義が未熟であることを感じざるを得ません。

地方議会の役割としては、予算の監視と条例の立案という政策がありますが、県議会での条例の議員提案は2010年以降7件しかなく、それも日本酒で乾杯条例のような提案でしたし、予算案の修正及び否決はゼロでした。

仙台市の人口は108万人で市議会の議員定数は55人でうち人口が30万人の青葉区の議員定数は13人です。

秋田県と仙台市の人口は略100万人としてその議員数は仙台市55人に対して秋田県の地方議員数は479名と略8倍ですし、秋田市と仙台市青葉区の人口は略30万人ですが、その市議会議員数は青葉区13人に対して秋田市は39人(4月以降は36名)となっております。

もちろん地方自治は最大限重視されなければならないと思いますし、どんなに人口が少なくてもそこに議員は必要ですが、これだけ人口が減少して来ているのですから、仙台市の議員数と秋田県の地方議員数を比較すると、議員1人当たりの人口数をそろそろ考えてもいいのではないかと思います。

現状の秋田市議の年収はおよそ980万円、これに政務調査費及び視察旅費を足すと1千万円を超えます。秋田市の当初予算は2,370億円ですがこれをチェックする市議会議員に総額およそ4億円支払っております。

議会というのは一つの町を動かしてゆくうえで必要なコストだと私は思っておりますので、議員の皆さんにはコストに見合った活動をして頂きたいと願っております。

そのような議員活動行うことで秋田市が踏ん張り、秋田市が人口のダムととなることで秋田県全体の人口減少に対して、一つの歯止めにはなるのではないかと考えております。

 

           (文責:秋田人変身力会議 事務局長 永井 健)